困難も苦難もトラブルも
出来ることなんて限られてる。
私達には出来ることしか出来ないんだから・・・
理由や原因を探して、明らかにして、受け入れる。
『後悔で足を止めないってこと!』
自分がどうしたのか?どうなりたいのか?
『自分の目的やゴール、望みを見つけるってこと!』
後は優先順位を付けて、取捨選択して、進むだけ
全然余裕!だって、生きてるんだもん!
トラブルなんて生きてたら1回や2回じゃないくらい何回も起きる。
その上、トラブルは連続してくるし
困ったことは畳みかけるように押し寄せる。
そしたら、みんな苦しくなって立ち止まって・・・
「なにで?」「私が悪いの?」
「どうしてこんなことに?」
立ち止まって、後悔して、答えのない思考のスパイラルに陥って・・・
困難だ
苦難だ
絶望だ
って、被害者になって、悲劇の主人公になってしまう。
もっと大変な事態になっている人だって沢山いるのに、自分が一番不幸に感じてしまう。
さらに過酷な環境を知っている人がいるのに、自分が最悪の状態だと思ってしまう。
それは・・・
視野が狭くなってしまうから。
思考が止まってしまって・・・
状況を受けとめたくない感情に埋め尽くされてしまっているから。
悪い意味で、自分に集中してしまって
他の自分の想いや気持ちを聞くことが出来なくなってしまっている。
本当は些細なコト
仕方ないことなのかもしれない。
私達はそんなに強くないから。
私達は出来ることしか出来ない。出来ることは、自分の声を聞くこと
『困難だ!苦難だ!絶望だ!』って言っている時は、心の余裕が無くて何も感じられなくなってしまっている。
何も感じられないから、目の前の状況だけ見てしまって
もう自分は限界だって感じることになる。
見方を変える余裕もないし
原因を探す余裕もない
だから、自分の気持ちを知ることも出来ない。
本当は、常に自分の気持ちや想いを知っていて、
自分が何を望んでいて、何を願っていて、何が大切なのか?
を把握しておくことが大切なのに・・・
それが出来ていないから、目の前の状況に振り回されて
視野が狭くなって、受け入れたくない!って言う感情に飲み込まれて
自分を見失う・・・・
私達は出来ることしか出来ないのに、知っている事しか知らないのに
出来ることをしないで、知っていることを見ないでいたから、
目の前の状況に負けて、『困難だ!苦難だ!絶望だ!』って言ってる。
そんなの『困難だ!苦難だ!絶望だ!』でも何でもない。
自分の出来ることをしなかった結果でしかない。
ただの良いわけで悲劇の主人公を気取っているだけの残念な時。
最初から自分の想いを知って、思いを叶えるための行動をしていたら、そんな状況になることは無い。
仮になったとしても、
原因を探して、理由を見つけて、明らかにして、受け入れられる。
「これではダメだったんだ」って
その上で、どうしたいのか?どうなりたいのか?っていう思いを知っていれば、
「こうしたいから、何が必要なのか?」
「こうなるには、どうしたらいいのか?」
立ち止まることなく、次へのステップを踏み出すことが出来る。
私の話し
例えば・・・
私が自己破産した時も・・・
気が付いたらとんでもない負債を抱えていた。
とても魅力的な投資話があった。
最初は半信半疑だったけど、始めてみたら案の定最初だけ上手くいった。
途中でダメになったけど、可能性を信じて投資を続けてしまった。
その結果が多額の負債だっただけの話し。
でも、最初から自己破産してもその後も・・・
目的も思いも変わらない。「お金を手に入れたい」「お金持ちになって自由に生きたい」
ありきたりで、貪欲で、俗物的な思いだけ。
それでも、自分の想いを知っていて、ゴールを明確に持っているから
次の行動も選ぶことが出来た。(一瞬は絶望したけどね(笑))
大切なのは、家族の・・・子供たちの命と笑顔
他は・・・?家族の命と笑顔を犠牲にしてまで守るモノは無いって決断できた。
だから、家も車も全部手放して、自己破産を選んだ。
家やお金を多少残すことも出来た、個人再生や債務整理も可能だったからね。
でも、家を残して、お金を残したとしても・・・
負債が、ローンが残っていて気持ちよく再スタートできるか?って言われたら、正直難しいと思った。
ストレスがある状況で必死に働いて、子供の笑顔が守れるか?
無理だと思ったから、全部無くして、自己破産して0から再スタートした。
その後は、ちゃんと復活して子供たちは笑顔だよ!きっとね。
会ってないから分からないけど、成功はしてるよ。
(いつか話すかもね、その話しも)
全然余裕!自分の想いが分かれば、困難なんて存在しない!
『困難だ!苦難だ!絶望だ!』
全部、自分の想いが分かっていないから、出来ることをしていないから
立ち止まって後悔している時の感情。
想いを知っていれば、立ち止まる理由がない
明らかにして受け入れて、次の方法を探すことが出来る。
想いを知っていれば、迷う理由がない
優先順位があるんだから、選ぶのは優先の方を大切に出来るモノだけ
想いを知っていれば、悩まない
自分が望んでいるものが分かっているなら、叶えるための行動はするでしょ?
自分の想いが、願いが分かっていて、大切なモノが分かっていれば、
叶えて実現して、手に入れるためにすぐに行動することが出来る。
途中で何か問題が起きて、立ち止まることがあったとしても、
他の選択肢を探すことも出来るし、違う見方をして、チャンスに変えることも出来るかもしれない。
その行動って言うのは・・・
情報を集めることかもしれない
自分の出来ることと、必要なモノと、時間と、場所と、知識やノウハウや資格や道具
専門家に意見を聞くことかもしれない
自分では知りえない知識、調べられない特別な情報
出来ることしか出来ないけれど、出来ないことは出来る人や方法を探すことは出来る。
だから、出来る方法を探すことが出来るってこと。
私達は、出来ることをしていないから良いわけで『困難だ!苦難だ!絶望だ!』って言っているだけ。
出来ることを、全力でやってさえいれば・・・
いつの時も『困難だ!苦難だ!絶望だ!』なんて言う状況にはならない!
だって、生きているんだから!
『困難だ!苦難だ!絶望だ!』って、本当に言うのは・・・死ぬときだけだよ。
事故って体が半分になったとかね。
『後は奇跡を祈るのみ』の、『神のみぞ知る』って言う時に使うことが許されるって私は思うよ。





