どこかで誰かが何か言っている。
それはいつものコト
他人の評価がいつも気になる。
むしろ、それは必要になる時がある
でも、実際には・・・
誰が思うか?じゃなく、何を想うか?
今、あなたは何を想う?
他人があなたのことをどう思うかなんて、あなたの知ったことではない。
他人の評価に囚われず、自分自身の価値観で生きる勇気を与えてくれる言葉です。
他人の評価は常に気になる。
誰かの言葉はいつも私達に影響しているし、その言葉に左右されてる。
確かに、他人の言葉と評価が私達の人生すら左右することになることは大いにある。
学校で先生の評価であったり
会社で上司の評価であったり
そして、そこには友人や同僚の言葉が影響することはよくある事。
その現実があるから、私たちはいつも誰かの言葉に左右されて
他人がどう思っているのか?を、気にして生きることになる。
でも、実際に必要なのは、「他人がどう思うか?」じゃなく、「自分が何を想って、どうしたいのか?」
他人がどう思うのか?自分のことをどう思わせるか?
他人が自分のコトをどう思うのか?
それは、ある意味で、自分がどう見せているのか?どうみられたいのか?
も、大いに現れている。
人は、常に多くの自分のカタチを使い分けている。
公共の場での姿
プライベートでの姿
さまざまな姿、仮面を使い分けているだろう。
それは、自分がどうやって見られたいか?どう思われたいか?を、使い分けているところでもあるだろう。
自分が人に見られたい姿を演じている時もあれば、
公私を使い分けているだけかもしれない。
それは結局、自分がどうやって他人に自分を見せているのか?と言うことになる。
そして、その姿・・・他人に見せている姿をみて、他人は私達のことを評価して、何かを想うだけになる。
コミュニケーションが苦手な姿を見せれば、そのように思われて
不器用を見せたら、不器用に思われる。
たまには、意図せず天然と言われることもあるかもしれない。
でも、それは自分の全ての姿を見せているわけでは無いだろう。
苦手な部分が他人に見られることが多い人は、自分が得意な世界やジャンルを見せられていないだけだろう。
例えば・・・
インターネットの世界で配信をしていたり、
ゲームが得意だったり
家事が得意だったり
文章を書いたり、イラストを描いたり
その自分の世界を見せていないから、他人からは『スゴイ』と思われることが無かったり
逆に、出来ない部分を見せないことで、『スゴイ』と、思って貰えたりする。
他人がどう思うのか?は、自分が何を見せているのか?で変わってしまう。
どういうことか?というと・・・
他人がどう思うのか?他人の評価というのは、【自分をどう見せるのか?・何を見せるか?】で、作ることも、変えることも自由に出来るようになる。
人は、見える現実しか分からないから・・・
その上で、見たい現実しか見ないから・・・
自分が何を想うのか?どうしたいのか?
他人が自分のことをどう思うか?は、ある意味で、自分の選択なのかもしれない。
だとしたら、
他人が何を想おうが、何を感じようが、どう評価しようが・・・
結局のところ、私達自身には無意味なコトになってしまう。
だって、自分がその姿しか見せていないんだから、そう思われるだろうし、言われるだろうから。
残念な姿を見せていたら、そのままに思われているかもしれないけれど・・・
あなたの世界やあなただけのモノを知っている人には、ちゃんとあなたを評価してくれているだろうし、認めてくれている。
出来る姿や、凄い姿を知っている人がちゃんといて、その姿みて想いを持ってくれている。
人の評価も思いも、私達自身には本当に意味がないんだろう。
認めてくれる世界で、活躍したら良いだけなのだから。
自分の価値観・・・
自分自身が何を想うのか?
他人の評価や、言葉や想いの中で生きようとするから、私達は苦しくなってしまう。
他人の想いや要求に答えようとして、無理をして辛くなる。
他人の言葉に左右されて、自分の輝ける場所や時間を失ってしまって、悲しくなる。
本当に無意味なコトだと私は思ってしまう。
自分が、何が好きで、何を大切に思っていて、何を守りたいのか?
自分の想いを知ることが出来れば、それに時間を使うことが出来て
時間を使うことで、より輝く機会を見付けられて、手に入れられる。
それが、私達が『ありのままで輝ける!』って言うことなんじゃないだろうか?
あなたは、あなたが何を想うのか?が重要であって、他人が何を想おうがあなたには関係ない。
自分の想いと価値観と、望む世界の為に自分の時間と、自分の大切なモノの為に生きていくことが・・・
『幸せ』って言うモノのカタチだと私は感じている。
見えないけれど、必ずそこにある『幸せ』
探して生きていくことが、生きる意味なんじゃないかな?
他人があなたのことをどう思うかなんて、あなたの知ったことではない。




