過酷な現実のなかでどうやって生きていくのか?
なにが生きる力?と言えるのか?
私は、思う。
『幸せ』を求める気持ちが、生きる力なんだと
生きる力
みんな違う。
善し悪しもそうだし、何を大切に思うのか?ですらが、みんな違うだろう。
価値観と言われる物事の捉え方や、判断基準がそれぞれ違う。
人の言葉を大切にして、生きていく人もいれば、自分の気持ちや意見を信じて生きていく人もいる。
それで良いと私は思う。
そんな中で、『幸せ』と簡単に言っても、人それぞれ違うものをイメージする。
あなたの『幸せ』が何かなんて、私には分からない。
同じように、私の『幸せ』もあなたには分からないだろう。
それでも、気持ちや感情や考え方を共有することは出来る。
相手に伝えて、相手の言葉を聞いて
自分との違いを知ることも出来れば、相手の良さや合わない部分も見付けることが出来る。
そうやって、自分のコトを伝えることで、それぞれの『幸せ』を知ることが出来て、なんなら手伝ったり支え合ったり出来るかもしれない。
でも、実際には共感することは難しい時が多い。
多くの人の意見が正しい【多数決】をして決めていくのなら簡単なんだろうけれど、
自分の気持ちは、多数派の意見になるとは限らない。
みんなと違う気持ちや感覚を持っていたら、共感はして貰えないし、共感することは難しい。
共感できないってことは、『幸せ』を共有することが出来ないってこと。
相手の気持ちや考えは分かるけど、自分と違っていたら
相手の『幸せ』を一緒に、自分の「幸せ」として感じることは出来ない。
例えば・・・
「愛とお金どちらが大切で重要で、幸せに繋がるのか?」
大多数の人が『愛』って言うんじゃないだろうか?
『お金』って言う人は少ないんじゃないかな?
どうだろう。
ホントのところは、両方だと私は思う。
どちらかが欠けていたら、『幸せ』にはなるのは難しいって、私の経験は言っている。
欠けているモノがあるから、ストレスになって・・・ストレスはある方を蝕むから。
これは、色々なモノを選んで取捨選択する時に言えるだろう。
両方って言う人もいれば、片方って言う人もいて、どちらかを選ぶときにはお互いが別のモノを選ぶなんてよくある事。
だからこそ言える。
【幸せのカタチ】は人それぞれなんだって。
それぞれの価値観で、それぞれの【幸せのカタチ】を探して行く。
そして、自分が見つけた【幸せのカタチ】を目指して生きていくことが、
『生きる力』なんだろう。
他の誰かの言葉で作られていて、大多数が認めているゴールや成功の姿を求めるのも素敵なコト。
それを目指すのももちろん『生きる力』で、
自分だけの素敵を求めて、自分だけの【幸せのカタチ】を求めていくことも『生きる力』
幸せになる権利は誰にでもある。
全ての人が幸せを探して、求めて生きて行って良い。
だからこそ、私達に必要なのは、ただ生きているだけじゃなく・・・
自分の【幸せのカタチ】を求めて、それに向かって生きていくこと
『生きる力』を持って進んで欲しい。
ただ、状況や環境に流されて、他人の言葉に左右されて
楽な方へ簡単な方へ・・・
進んで行くのも一つの選択なのかもしれないけれど・・・
私達には、自分だけの特別があって
自分だけの大切なモノがあって、大切にすることが出来る。
それと同じように、自分だけの【幸せのカタチ】があるんだから、それを目指して進んで行くことが
自分らしく生きるって言うことで
ありのままのあなたが一番素敵に輝ける瞬間になるんだと
私は信じている。
大丈夫。何があっても大丈夫。
まだ生きている!




