人との付き合い方は、結局どこを見るのか?
人のどこを見るのかで、その人の印象は全く違ってしまう。
何より、その人自身もその場その場で違う人格を使い分けているかもしれない。
親の顔
会社の顔
友人の顔
子の顔
別々の顔や言葉や、人格を演じ分けている人が多いだろう。
その中で、どの顔を見るのかで、その人は全然違う人に見えてしまう。
見る時や見る場面で、印象が変わってしまうから
人間関係の中での、付き合い方も変わってしまうだろう。
付き合いやすい時もあれば、苦手に思う時もある。
頑張っている姿を見れば、応援したくなるだろうし
サボっている姿を見れば、声を掛けたくなる
それが人の性・・・。
どんな人にも、良いトコロと悪いところがあるだろうし、合う面と合わない面があるはず。
それなのに、見るトコロにが悪いとその人と仲良くなることは難しいだろう。
最初に苦手な面を見てしまったら、それが忘れられないし・・・
その場面の印象を元にして相手を見てしまうから。
逆に、素敵な、好感を持てるトコロを見ることが出来れば、とても魅力的な人に見られるだろう。
好感を持って、その人を見ることが出来るから、
多少悪いトコロや苦手な面があっても、許せるようになる。
それは、私達は見たいモノを見る生き物だから。
私達は人間関係でも見たいモノを見てしまう。
相手の見たい場所を見てしまう・・・
苦手だと思う人
その人を見る時には、どうしても苦手な部分を意識してみてしまう。
だから、さらに気になるし、何を見ても、聞いても苦手に見えてしまう。
先入観があるから、何を見ても距離を持って見てしまうことになる。
怖いと思う人
もう、普通に話していたとしても、怖く感じてしまう。
最初に怒られたことがあったとしたら、その記憶を拭うのはとても難しい。
怒られた記憶が、相手を怖い人として見てしまう。
だから、笑い声ですらが怖く思えてしまう。
好意的に感じている人
何を見ても受け入れられる。ダメな所、他の人なら受け入れられないトコロを見ても、
『可愛い』って思えてしまう。
もう、見たいモノを見る次元じゃなく、何を見ても好意的に感じちゃう。
好きだから、何でもOKってなる。
もうここまでくれば、見てない。見ることもなく、最初から受け入れている。
だって、私達は見たいモノを見る生き物だから。
苦手な人や怖いと思う人は、そう思って見るからそう見える。
むしろ、苦手な部分と怖い部分がとても際立って見えて、他の部分がかすんでしまう。
そして、苦手だし怖いから、見たくないし、見ないようになる。
そうなると、他の部分は見えないから、分からない。
分からないから、理解し合って人間関係を作ることなんて出来なくなってしまう。
そして、好きな人を見る時には、
何を見ても許せてしまう。認めて、諦めて、受け入れられる。
だって、好きだから。
でも、最初は好きじゃなかったはず・・・。
そして、苦手な人も怖い人も、同じように最初は違ったはず・・・
人間関係は、最初印象が先入観で、勝手に決めつけて人を見る
最初は、とってもフラットに人を見ることが出来るだろう。
でも、どこかのキッカケでその人の一部分が気になってしまう。
その人との間に起こった出来事で、印象が出来上がってしまう。
そして、出来上がった先入観や苦手意識や好意的感情で、その人を見るようになる。
そうなると、人は見たいモノを見る
先入観と固定観念の元に人を見る
だから、見る場所やタイミングが良ければ、その人を良く見えて好意的に受け入れられる。
でも、タイミングが悪かったり、気になった部分が苦手な部分だと、その人と距離を縮めるのは難しい。
最初の印象がその人の価値を決めて、その価値を元にその人を見るようになる。
その人の印象を、苦手と思った状況から変えようとするのはとても難しい。
見たいモノを見る私達に、苦手な人を見るのは無理だから。
無理なことをするのは、とても大変だし、辛いこと。
乗り越えられることがあるとすれば・・・・
次回のお話しになります~
相手から歩み寄ってきた時だけ。
こちらは苦手だから、見れないし近寄れないから・・・




