縁が無かったと言えるのは、行動した人の特権

 

欲しいものが手に入らない

願ったことが叶わない

想いが届かない

いつだって、私達の現実は思い通りにはいかないし、世の中は私達にとっても過酷で冷たい。

 

周りに気を許せる友人は・・・・

本当の気持ちを伝えられる存在は・・・・

自分のコトを分かってくれる誰かは・・・

 

それすらも縁なのかもしれない。

でも、待っているだけでは何にも出会えないし、見つけられない。

 

私が待っていて、あなたも待っていたら・・・・

私とあなたが出会うことがあるのかな?

 

私は、大切な何かを大切にするためには、大切にしたい想いと、行動が必要になる。

 

  必要なモノは、常に自分の近くにある。

 

 

確かにそうだろう・・・。必要なモノは近くにある。

だから、手に入らないモノは、手を出す必要が無かったから。

手に入れる必要が無いから、手に入らない。

 

そして、今あるモノを大切にする。

 

大切なモノを大切にする方法は、同じ時間を共有すること。

自分の近くにあるからこそ、同じ時間の中に居るからこそ、大切にすることが出来るから。

 

大切に出来ないモノは、手に入らないようになっているのかもしれない。

 

でも、それは・・・・

 

全ての行動をした人にだけ、言える言葉。

大切なモノを大切にする為に、行動して

自分が願っているモノを手に入れるための行動をして、

願いを叶えるための行動をして、

 

自分の気持ちを大切にして、気持ちをしっかり聞いて、受け入れて、

自分自身の為に行動をした人が言う言葉。

 

手に入らなかったモノ、願っても叶わなかったこと、

実現できなかったことを、受け入れるために使う言葉。

 

それが・・・・

 

『縁がなかった。今の自分には必要が無いから、手に入らないだけだった。』

 

今まで、積み上げてきた全てのモノを、受け入れる時に

自分に対して言うことが出来る言葉で、

 

行動していない人が言うと、ただの言い訳になってしまう。

 

 

  私達が縁のあるなしを言えるのは、自分の想いを聞いて行動したとき

 

縁を掴むのも、行動の結果でしかない

 

何も行動しない。

それも確かに選択の一つ

 

縁が来るのを待つのも

選択の一つ

 

今あるものを大切にするもの

素敵な選択

 

そして・・・・

自分の願いを叶えるために行動してくことも

大切な選択の一つだろう

 

縁があるかどうかは、もちろん・・・

「袖触れ合うも他生の縁」

あると思います。でも、その縁を掴むかどうかは、行動次第。

 

行動しない時には、縁はすれ違いで終ってしまう。

そして、出会いを大切に出来たり、縁を繋いでいけるかは別問題だろう。

 

願いを叶えるため

縁を繋げて、引き寄せる為

自分が大切にしたいって思える縁を大切にしたいって思うなら、

 

その為の行動が必要になる。

縁を大切にするためには、大切にする為の行動が絶対大切になる。

 

でないと、縁が無かったと・・・・

自分以外の誰かのせいにしてしまう。

 

誰かのせいにするのは、とても簡単。

「縁がなかったのは、相手が望んでいなかったから」だって、

「繋がらなかったのは、相手が必要じゃなかったから」って

 

それは、誰かを否定していて、自分を否定しているだけです。

 

縁を語るのは・・・・

自分の気持ちと、自分自身を大切にすることが出来てから

相手・人やモノやお金だとしても、自分が望んでいるのかどうかを、自分が分かってから

自分が望むことがあるのなら、その為に行動していないのに

縁が無かったと言うのは、言い訳でしかない。行動しなくていい言い訳をしているだけ。

 

願いを叶えることも

何かを大切にすることも

自分を知ることも

 

行動なしにはあり得ない。

 

行動した人だけが、手に出来なかった時に自分が受け入れるために

『縁がなかったから』と思うことが出来る。