人は、自分で助かるしかない。
どんな状況や環境だったとしても、
どこかの誰かが、無償の善意で助けてくれるなんて・・・・信じて待つには悲しすぎる。
自分のコトは、自分で何とかしてあげるしかない。
辛い時もあるし、悲しい時や苦しい時もいっぱいあると思う。
その時々を乗り越えていくのはとっても大変だし、毎回乗り越えることが出来るとは限らない。
時には押しつぶされてしまう時もあるだろうし、
何かに負けてしまって、立ち直れない時もある。
それで、誰かに助けを求めたくなるのは必然だろう。
だって、自分ではどうすることも出来ないんだから。
限界だし
視野は狭くなっているし
目の前の現実は辛いだけ
選択する道もなくて、ただただ今の現状が過ぎていくのを待つことしか出来ない。
そんな状況で、自分でどうにかするにはハードルがか高すぎる。
だから、誰かに助けて欲しいって願ってしまうし
「話しを聞いて」って、誰かに頼りたくなるし
「何とかして!」って、投げ出して他人任せにしたくなる。
でも、実際のところ・・・
何とか出来るのは自分以外の誰でもない。
だって、その問題や現実は自分だけのモノなんだから。
自分以外の誰かにどれだけ、願って頼って任せたとしても、
自分のコトを何とか出来るのは、自分以外の誰でもない。
そして、外野に居る人達。
あなたじゃない私には、あなたを根本的に助けることは出来ない。
誰かの為に、外野の私達が出来ること
その場しのぎの、応急処置しか出来ない。
元気がない人が居たとして、何が出来る?
「元気出して!」って声をかける?
食べ物を持って行ったり、出掛けたりして、気分転換をさせてあげる?
それとも、元気がない原因を聞いて・・・どうする?
原因を聞いて解決して、元気を出させてあげることが出来るだろうか?
出来るかもしれないけれど、大半の場合は難しい。
外野、話しを聞いてあげて、無責任なアドバイスをするか
その場しのぎの応急処置をするか
見守ってあげることしか出来ない。
その人の現実に、他人が干渉できるのは、ほんの少しだけだけだから。
もし、自分以外の人に影響出来て、
その人の現実を変えることが出来るような人が居たら、それはその人にとって特別な人だろう。
だから、その特別な人がいるんなら、その人を大切にして欲しい。
誰も何も出来ないような現実を目の前にして、その時に一緒に居てくれた人がいて
手を差し伸べてくれたのなら、それが特別な人との出会いで、何にも変えられない大切で素敵なコトだから。
自分のことは、自分でしか助けられない
どんな時でも、一緒に居てくれる他人なんてめったに表れない。
出会えたなら、大切にして欲しい。
でも、常に一緒に居る存在があるとしたら?それはきっと自分自身だろう。
自分の状況を変えることが出来るのも当人以外には存在しないんだから、自分で自分のコトを助けてあげるしかない。
自分で自分の現実を受けとめて
真っ直ぐに自分の気持ちと向き合って、
今まで後悔を繰り返さないように。
新しい一歩を踏み出すのか?今までとは違う選択をするのか?
どうしたらいいのか?
それが自己啓発なんだろう。
自分のコトを変えるために何かを足すことを考える。
そして、不要な部分を減らしていけるようにする。
自分にとって、大切なモノとそうじゃないモノをちゃんと見極めて、
取捨選択が出来るようになる。
それが、自分が自分を助けてあげるために必要なコト。
回りくどくても、自分にとって必要なモノと大切なモノを探すところから、
自分を見つめて欲しい。
それが出来た時に、自分の現実を改めて見ることが出来るだろうし、違う見方も出来るようになる。
その先の積み重ねで、自分で自分を助けられるから。



