解決?出来ないから立ち止まる

自分の苦しみや悲しみ

自分の悩みや問題・・・

 

沢山あるし、全部解決する事なんて出来ない・・・

 

むしろ、解決出来るなら、悩んでないし迷ってないし困ってない。

 

だから立ち止まって・・・

 

誰かの助けを待ってしまう・・・

 

それは悪いことじゃないし、自分だけで解決することが出来ることなんか限られている。

 

見方を変えたり、言葉を変えたり、新しい方法を探すことなんて・・・

もう自分では全部やってみた・・・

 

なにも変わらないし、何も手に入らないし

なんなら前より状況は悪くなっている。

 

(シンプルはいつも道を間違えるから・・・

間違えるのを知っているから、別の道を選んだつもりなのに・・・・

やっぱり間違っていたらしい・・・悲しいね。正解にたどり着けないって・・・。)

 

だから、自分以外の誰かに助けを求めても良いんじゃないかな?

 

 

自分以外の誰かに助けを求めるから・・・

 

自分ではどうしようもない現実の、目の前の、トラブル・・・

何が正解なのかは分からないから、試行錯誤でなんとかしようと試みる。

でも、上手くいかない。

解決出来るどころか、悪化しているような気さえする。

 

どうしようもないから・・・

 

『誰か助けて?』

『答えを教えて?』

『せめて、アドバイスが欲しい』

 

って、誰かに頼りたくなるのは仕方のないこと。

だって、自分だけでは解決出来ないのだから。

 

誰かに相談に乗って貰ったり、愚痴を書いたり、聞いてもらったり・・・・

アドバイスを求めて参考にしたり・・・

それでもどうにもならない時は・・・・

 

目に見えない世界にお願いしたくなる。

神頼みに、占いやスピリチュアル・・・・頼って、助力を求めて、言葉を聞きに行く。

たぶん、それは正解なんだろう。

多くの方がその道を選んでいるから、間違いじゃない。

 

  もちろん、私自身もその道をしっかり歩んでいた。

 

その道しかないと思っていたのだから、私もその道を選んで進んでいた。

 

必死にいろんな人の言葉を聞いて、勉強して、積み上げて・・・

会いに行って、力を使ってもらう?おススメされたモノに手を出してみる。

 

不思議と結果が出る。

好転的な状況に変化する。

そして、さらに自分以外の誰かの言葉を探して、力を求めて進んで行く。

 

今なら分かる。

好転的な結果があったのは、誰かのおかげだったかもしれない。

でも、自分が良い結果を求めて、それに向けた行動をしていたから出た結果だったんだと。

なんとなく・・・

適当に・・・

で、行動した結果ではなかった。

 

明確なビジョンがあって、現実にしたいことがあったから、

それに向けた行動をしていた。そして、+αで他の助力を探していたんだって・・・。

自分の願いの為に、意見や力を貰うために動いていたかもしれないけれど、

それを信じることが出来たことで、自信を持って行動することが出来ていたんだと、今なら思える。

自分以外の何かを信じることで、まっすぐ進めて、

自分の望むような形の結果に繋がっていたんだろう。

逆に、そうなる前は・・・

現状に不満はあったし、何とかしたい・変えたいという思いはあったけれど、

「どうしたい?」

の、肝心な部分のビジョンがなかったんだろう。

不満はあるけれど、変えた先の未来を見ることも出来ていない。

信じられるものも無かったし、なんなら自分自身が一番信じられなかった・・・。

 

だから、なにも変えられないし、進むことも出来なくなっていた。

悩んで、迷って、立ち止まって、行き止まり・・・。

 

誰かに・・・

『なんとかして?』『助けて』『現実を変えて』

って、ただビジョンも中身もない願望だけを持って願っていた。

だから、何も変わらないし、変えられないし、手に入れることも出来なかった。

でも、それを否定は出来ないよね。

何かを考える余裕がない時だから。

 

余裕が無いから、そうなる。

心に余裕が無いから、他人に頼るしか無くて・・・

心に余裕が無いから、頼った先の救われる未来も見付けられない・・・

 

だから、何も手に入らないし、変えられない。

余裕がないんだから