無駄で無意味でもったいない?なんでそう思う?

自分の大切な時間・・・

大切な時間、限りある時間

どう使うのかは、自分で決めても良いんじゃないかな?

 

確かに、やらないとダメなこともあるだろうし、

生きるために、生活の為には避けられないこともあるだろう・・・

仕事もそうだし、家事や育児も必要だし、

他にも沢山あるだろう。

そのやることや必要なことがあるから、それ以外の時間の使い方

それ以外に使っている時間が、無駄に思えてしまうだろうし、無意味に思えてしまうかもしれない。

 

終らせたいことが、終わっていないから。

 

やることが終っていないから。

必要な時間を使うのには、優先順位があるのかもしれないけれど、

優先順位とは別の時間が私達には必要な時がある。

 

だから、無駄や無意味だと感じているその時間は、大切に使えているはず。

 

 

無駄だと感じる時間と無意味な時間と

 

私達にある時間は、正直限られているし、足りないと思うくらい時間が過ぎるのは早い

その中で、やることが多すぎて

自分の自由に使える時間は少ないかもしれない。

 

それなのに、違うことをしてしまうから終わらないし、やることがたまってしまう。

だから心苦しく感じてしまうのかな?

 

でも、その無駄だと感じる時間が私達を作っている。

 

私達が何かを感じたり

自分の想いを感じたり

好きなモノを好きだって感じられたり

逆に嫌いなモノを見付けられたり

 

いろいろな気持ちを見つけることが出来るようになる。

 

アイデアやひらめきもそうだろうし、夢や希望を見付けたり出来るだろうし

無意味に思える時間があるから

その時間に、自分のことを考えることが出来るようになるし、

いろいろ感じることが出来るようになる。

 

やることがあって、やらないとダメなことがあって、

それをこなしているだけだと、自分を見失ってしまう。

 

忙しさに流されて、自分のコトを考えることが出来なくなって

目の前の作業や、状況に振り回されてしまって、

思いを感じることが出来なくなってしまう。

 

常に動いていると、感じることが出来なくなる。

 

自分の想いを感じて

自分のコトを見つめることが出来て

新しい何かを見付けたり・探したり出来るようになるのが

 

『やることや、やらないとダメなコト』以外のことをしている時に出会える。

『やることや、やらないとダメなコト』をしている時には、それ以外のことを考えるのは難しいだろう。

 

終らせるために必死だろうし、出来ていない・終わっていない・失敗している・間違っている時には、他の誰かに指摘されてしまううだろうし、時には注意や叱責を受けることになるかもしれないから。

目の前の『やることや、やらないとダメなコト』に必死に向き合ってしまうことになる。

でも、それは他の誰かでも出来ることなのかもしれない。

仕事なら、他に出来る人もいるだろうし

家事なら、家族が手伝ってくれる

育児も1人とは限らない

 

全部を一人でやらなくてはいけない状況もあるかもしれないけれど、

そうじゃないかもしれない。

だから、それ以外のことを出来ている時が、

私達に一番必要な時間になるだろう

だって、その『無駄で無意味な時間』は、自分自身にしか存在しない時間だから。

その時間があるから、私は私になれる。

 

その時間は、他の誰にも変えられないし、変わることが出来ない。

 

私達だけの時間で、

私達にしか見つけられない時間

それが、私達を作っている

私が自分で居られる特別な時間

 

その時間を大切に使えることが、私達は心を自由にすることが出来る

心を自由に出来る時間が

 

『やることや、やらないとダメなコト』をしていない時間

それが私達の大切な時間