私達は、いつでもすれ違い

気がつくといつでも、行き違い

どうしてもしてしまう、勘違い

 

その中で、もがきながら生きている私達。

 

どうしたら、いいのか・・・

きっと、解決は出来ないし・・・避けられないだろう。

 

自分がすれ違ったと思っているかもしれないし、行き違いが起きていると感じるかもしれない。

もしかしたら、自分の勘違いなのかもしれない。

逆に、相手がそう感じている時もあるのかもしれない。

 

そして、その積み重ねが摩擦になって、軋轢になって、疲れてしまう。

 

私達はすれ違いや行き違いをどうやって受け止めたら、いいのか。

 

すれ違いや行き違いの中で生きていく

 

ほんの些細なやり取りの違いが、伝わり方が思うようにいかなかったり、出来なかったり・・・

そんなことは日常だし、避けられない現実がある。

 

その中で、どうやって現実を受けとめながら生きていくのが良いのか。

相手のことを考えていても

どれだけ相手のことを思っていても

出来る限り気を使ったとしても

 

どうにもならない時がある。

 

私とあなたは違うから。

 

だから、もうどうしようもない。

そのスレ違いや、勘違いや、行き違いは避けられない。

諦めて、その可能性を常に受け入れながら誰かと付き合っていくしかない。

 

確かに、それはとても辛いかもしれないし、大変なことかもしれない。

でも、他に方法がないのも事実だろう。

 

どうやっても、避けられないものに対して、対策を考えたり、他の方法を探すのはとても大変なんじゃないかと私は感じるから。

その大変なことを見つけるために、自分の大切な時間を使っていくのはとても勿体ないんではないかと思ってしまう。

実際、避けられて、対策が出来て、対応が出来るなら、それに越したことはない。

けれど、私にはその方法は分からないから。

シンプルフレーズが感じるのは、諦めて受け入れること。

 

他の誰かとの繋がりを持つ中では、どうやっても避けることが出来ないから。

だったら、その可能性を受け入れる方が良いんじゃないかと感じてしまう。

 

 

誰かとの些細なズレの受け入れ方

 

ズレ・行き違い・勘違い

受け入れるといっても、難しいのかもしれない。

私達は、そうならない為にいつも考えて、気を使って生きているから、それが起こらないように善処しているつもりだから。

それを何とかするのは大変なことだろう。

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受け入れるのは、相手の気持ちなのか自分の気持ちなのか?

大切なのは、自分の気持ちがどうなっているのか。

相手の気持ちを受け入れる・受け取ることは出来ないのだから、受け入れることが出来るのは自分の気持ちしかない。相手の気持ちや想いを受け取って・受け入れることが出来るなら、すれ違いや行き違いや勘違いなんて起きないのだから。

 

私達は、結局自分の気持ちと向き合うことしか出来ない。

その向き合い方が、私達が人との差をどう感じ取るかになってしまう。

 

その違いがどうしても耐えられないものだと感じてしまったら、すれ違いや行き違いが起きた時の自分の気持ちを受け入れることが出来ないだろう。耐えられない・受け入れられないと、自分を責めてしまうし、自分を自分で傷つけてしまうことになる。

 

だから大切なのは、自分の気持ちがなんて言っているのか?

気持ちのすれ違いや、行き違いや、勘違いがあった時に、自分は何を思うのか?

謝りたいのか

訂正したいのか

自分の正しさを証明したいのか

相手の間違いを指摘したいのか

それとも、自分の事をもう変えたいのか・・・

自分がどうしたいのかを感じて、知ることが大切になる。

どうしたらいいのかが分からいないと、言葉にならない。言葉にならないと行動出来ないから。

自分がどう感じて、どうしたいのかを、明確な言葉にして自分に伝えてあげるのが、他人との差を埋めていくときに必要な方法になるだろう。