私の感じる『魂』は不変で変わらないモノ

最初から常に私達が持っていたモノ

 

 

魂通りの生き方をしていきたい

私達は、常に思考で生きている。

他人からの情報や、今までの人生の中で得た経験や体験を元にして、考えて行動する。

それが正しいんだろうし、そうするように言われて、学んできた。

 

その結果、自分の本当の思いや『魂』というものを見失ってしまった。

 

だから今からは、自分の中の『魂』を探しながら生きていきたいと感じている。

 

『魂』は、いつも変わらず答えを教えてくれていた。

 

好き と、いう思い

大切にしたい と、いう思い

きっと、それを常に教えてくれていた。

 

『好き』という思いにはきっと最初は理由は無かった。好きだから好きだった。他の人の感想や評価なんか何も気にせず、ただただ好きになっていたはず。

でも、いつからか『好き』に理由を求め始めていた。

 

・何で好きなの?

・どこが好きなの?

・どうして好きなの?

 

そうやって、誰かから聞かれたり、伝える時が来た時に考える。考えるから、理由を求めるし説明する言葉を探してしまうようになっていく。その時から私達は、『好き』に理由を作るようになって、その理由を元にして『好き』を作り始めてしまう。

あとから出来た理由があるから、『好き』という気持ちを自分で疑うようになってしまう。

疑うようになってしまうから、自分の気持ちを信じられないようになるし、自分を見失ってしまうことになる。

 

最初は、ただただ『好き』『大切にしたい』という思いだけがあったはずなのに、

『好き』『大切にしたい』理由が出来てしまう。

 

なんで、どこが、どうして好きなのかを、誰かや自分に説明するようになって、自分を納得させようとして、自分への言い訳も考えてしまう。

それが悪いわけではないだろうけれど、自分にする言い訳なんか必要ないんじゃないか?とも感じてしまう。

 

 

人には、言い訳が必要な時がある。それは、誰かに伝える時には理由が必要になるだろうし、相手が納得する言葉が必要になる時があるから。その言葉を探す時には、自分を作る必要がある。自分を作って、相手に合わせた人間を演じて上手く付き合っていく時には、自分を誤魔化したり、自分にウソをつくかもしれない。その時には、自分自身に対して言い訳をして、その演じる自分を、認められるようにする。

自分を作り上げて、『好き』だけだったものに理由を付けて、相手に合わせて自分を作る。

 

誰かと一緒に居るということは、その誰かに認められて、必要とされて、許してもらうことを求めてしまう。

求めているから、相手に合わせた自分を演じる必要があるし、人格や仮面を変えることもある。

実際、私だっていくつもの人格や仮面を使い分けている。

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会社での私

自宅での私

文章の中の私

動画の中の私

遊んでいたり、出掛けている時の私

 

全部違うだろうし、違うように演じていると思う。でも、上手くいかない時もあるよ不器用だから。

周囲の環境や一緒に居る誰かに合わせた行動をするし、言葉を使う。

そうやって生きて来たし、これからもそれを続けていくだろうと思う。

 

でも、これからは・・・

魂の言葉を聞きながら生きていきたいと思う。

それは、自分が見失ってしまった生き方だから。自分を偽って、自分にウソをついて自分を作り上げて来て、自分の『好き』すらも作り上げてしまったから。

理由が有って、理想があって、原因があって

自分の想いを作り上げて来ていたから。これからは、作らずまっすぐ生きても良いんじゃないかと感じたから。

 

好きも嫌いも、自分の感じるままに、理由を探さず。

理由を作らず。

魂が最初に教えてくれていたものをそのままに、魂通りの生き方をしていきたい。

 

 

魂通りの生き方とは

 

魂は、想いだけを教えてくれる。

その想いがどこから来ていて、どうやって出来ているのかを考えるのは、肉体の仕事

肉体の力を使って、自分の想いや、魂の言葉を理解しようとするのは、本当の自分を見付けていく時にはとても大切なことになる。

今までは、理由と原因を先に考えて、思考で行動してきたから、自分の想いを探さないし、聞こうともしてこなかったから。

 

聞き方が分からない?

 

方法はとても単純。もうみんな分かっているはず。

自分の想いに質問して、想いを分けて考えられるなら。

その想いだけを知ってあげたら良い。

『好き』の気持ち・想いがきっと最初にあなたが持っていたモノだから。

あなたの好き

私の好き

 

好きなモノ・人・トキ それがきっと魂の答え。

 

その先にあるのが、きっと肉体と思考が作り出した理由で、その理由が有るから

苦手なモノ、嫌いなモノが出来てしまうんじゃないだろうか?

『好き』の反対が「嫌い」なんだとしたらね。