簡素な暮らしーSimple of life -12ページ目

簡素な暮らしーSimple of life

日々の暮らしの中での”シンプルな”そして”簡素な”ものやことについて綴っています。





「とにかくスゴくいい本だから読んでみて!」
と、とびっきりの笑顔で友人が渡してくれたのは
なんと自己啓発本だった。

”○○だから大丈夫”
”○○で幸せになれる”
そんな感じの文章が並ぶこれらの本は
一体どのくらいの人を幸せにして、
どのくらいの人の”重たい腰”を上げてきたのだろうか?

”あなた自身が既に幸せになる答えを持っている”のであれば
なぜその答えを探している人が
これらの類の本を手にするのだろうか?
友達はこれを読んで答えを見つけたらしいが
ビジネス本にしろ、自己啓発本にしろ、
答えは無限にあるから
新しい本が生まれているのではないだろうか???

こうした類の本を読み終えると私は
胸の奥深くにまるで消化不良を起こしたような
そんな胸につっかえるムカムカを覚え、グッタリとしてしまうのが常だ。
何故だろう?
生理的に合わないのだろうか?
ファストフードを食べた後にも
私はこの手のグッタリ感に襲われる。

そしてこういう後には
良質の食事を摂り、自分自身の内面をリセットするかの如く
読み終えて心地よい余韻が残る・・・
そんな良質の文章で書かれている本を
貪り付くように読むのだ。

それはまるで一服の清涼剤のように
すっきりと満ち足りた気持ちにさせてくれる。
ひどく心が疲れた時や何ともやりきれない気持ちになった時も
私は同じように本棚の中から
こうした1冊を探すのだ。

読書という行為は
食事という行為と似ている、と思う。

おやつのように軽く、ザッと読める本。
親しい人と濃密な食事の時間を過ごすように読む本。
シチュエーションが変われば、その味にすら
変化が起こる・・・そのときどきで感じ方やとらえ方の変わる本、
などなど。

食に関してこんな興味深い話がある。
インスタント食品やコンビニのお弁当、
ファストフードなどの類のものは
長時間味が変わらないような工夫がされている。
当然、味付けも万人受けするように濃いめに仕立ててある。

しかし、その濃いめの味付けによって
味雷がすぐさま反応するからか
大して咀嚼をしないまま飲み込んでしまうらしい。
咀嚼が大雑把だと
脳の満腹中枢も刺激されるまで時間がかかる訳だから
体が欲している以上の量の食べ物を摂取してしまう。
ましてやTVやPCを見ながらの食事であれば尚更だ。

反対に
旬の素材の旨みを最大限に生かした食べ物は
味付けもシンプル。
生産者や作る人の思いが込められたそれは
素敵な器に盛られ、心地よい空間の中のひと皿となる。
こうした食事は
よく咀嚼し、ゆっくり味わうことによって
少量でも心と体が満足感に浸れるのだ。

これは今、自分が手にしている本にも
同じことが言えるのではないだろうか?

文字が大きく、文字数も少ない。
行間も余裕を持っている文章は
詩集などではない限り
さーっと読んで
その後、読み返すことなく
当然、記憶にも残らない。
そして忘れていることと気軽に読めることから
何度も同じような類の本を手にしてしまう。
それにこうした本は図書館で借りたり、
例え購入したとしてもすぐさまリサイクルへと出されてしまう。

それとは反対の文章は
ゆっくりと咀嚼するかの如く
じっくりと味わいながら読む。
当然、自分の本棚にしまわれ、
何かことあるたびに繰り返し読みたくなるものなのだ。

前者を全て否定する訳ではない。
軽く読める内容を欲する場合は
誰においても有り得ることなのだから。

例えば電車の中や
気が重たくなる病院などでは
前者のタイプの方が適役かと思われる。

反対に独りの時間を心ゆくまで楽しみたい時などは
明らかに後者の方が
読み終えた後の余韻までも残るであろう。

私たちには平等に限られた時間が与えられている。
同じ時間を過ごすのならば
少しでも質の良い濃密な時間を過ごしたいものだ。

今、私たちが口にしたものは
明日の私たちを作ってくれるいわば”材料”。

さて。
今日はどんなものを食べて、
誰とどんな時間を過ごそうか・・・
そうぼんやりと思いながらも
私は目の前の本棚を物色しているのだ。