今、家の中の自分ではないもの、
心地いいと感じ無いモノをどんどん手放している。
すると、どんどんモノが減っていく。
なのにね、減った分以上の豊かさを感じるの。
不思議だ。

やましたひでこさんが提唱する断捨離。
これに出会って、足踏みだらけの私の中の何かが回転しはじめるのを感じてる。


断捨離の入り口は、
家の中の不要なものを捨てることなのですが、
理論を知ると腑に落ちる腑におちる。


これまで捨てられなかった物の理由も、
これまでの私が物を捨てた時の思考の変化も、納得なのです。


モノはモノに留まらず、
モノ”に貼り付けられた想いと共にあるから、
自分の周りにあるモノは、セルフイメージや観念そのもの。


そしてその大半は、自分の中に染み付いたいらないもの…自分を縛るような観念やネガティヴなもの。


だから、目に見えるモノを断捨離しながら、目に見えない自分の中の不要なモノを断捨離していく。


目に見えないイラナイモノを手放す(断捨離)していくのは本当に難しい。


だからこそ、実際に見える物を断捨離していく。
目に見える形で進んでいくと、脳も認識しやすい。
それに、家の中の自分の物は、断捨離しやすい。


現実に目の前にあるものは、まさに過去の自分を写しだしたモノ達。
自分の観念、セルフイメージ等の想いがべったりと張り付いている。


だから、自分と向き合う断捨離は、苦しくもあり簡単ではないけど、着実に自分の変化を体感できる。


この体感が、足踏みばかりでなかなか抜け出せないように感じる自分を励ましてくれる。


'断捨離'を意識して
家の中を整えるようになって
5か月目。


幼い頃から一緒だったくまちゃんや母からのお土産、洗いカゴ、足湯機、CDコンポや棚や衣装ケース、沢山の食器、鍋、靴、何袋もの衣類、等々とサヨナラをした。
玩具も、本も、手紙も、手帳も、写真も、もったえなくてとっておいたお高いバッグやアクセサリー等も。
  

ギッチギチに詰まっていた押入れやお風呂場の棚に空間が出来た。
これ以上減らせないと思っていたはずなのに、日々断捨離できるものが目に入ってくる。


今、必要ではないもの。
今、私にとって心地よくないもの。


それが、分かってくる。


すると、
自分の好きなもの
自分の心地良いもの
自分が1番しっくりくること
それが分かってくる。


今まで、どれだけ他人の価値観に振り回されていたのかと知るの。


大きな家
好きなことにいくらでも使えるお金
有名になる
すごい人になる
人に影響与えるような素晴らしい人になる
あの人のように
誰々のようにこんなふうにって…


でも今モノを捨てることを重ねて
自分の好きなもの
ただただ心地の良いものを残していくと、
その厳選されたもので心地よくシンプルに暮らすこの豊かさを感じる。


今あることに、
心ゆくまで満足できる。
なんて豊かなことなんだろう。