そうだ私、絵を描くの好きだったんだ。


描きたくなった時に、ちょうど画材店があって、
教えてもらった岩絵具を買って、


久しぶりに絵をかいた。



描いていると、安心する。


昔から変わらない。


学生の時、クレヨンでよく落書きのようなものを描いていた。


当時は、うまく言葉に出来ない思いを描くことで、気持ちを楽にしていて。
だから、雫みたいなものや線みたいなよくわらないものばかり描いていた。


でね、その絵を見た友達が色々なこと言うの。
よく分からないとか、
これはなかなか無くて面白いとか、
なんか、好き。とか、
不思議。とか。


因みに旦那さんには、深みがない。クズだと言ってたなあ。


それを聞いていて面白と思ったのが、
数ある中で友達がなんか気になると言った絵は、
その時の友達の気持ちと、描いた時の私の気持ちがリンクしていることが多いということ。


友達が落ち込んでる時には、私が落ち込んでる時に描いて絵を良いと言い、
友達が楽しい時に選んだ絵は、私が楽しい時に描いた絵だったり。
詳細にその時にあった出来事が同じ時もあった。


私は絵を描く時、
泣きながら描いたり、鼻歌歌いながら描いたり、怒りかながら描いたりする。


描く時は感情が揺れた時。


そして、自分の描いた絵に癒される。


それは、私の気持ちがそのまんま投影されるから。
私の描いた絵が、私に共感してくれる。
そして、私が描いた絵に、私が共感する。


私が私にって、なんか、笑える。
でも、それでいい。


私の描いた絵に共感する人や、なんかいいと思ってくれる人がいるだろうし、嫌悪感を持つ人もいれば、何にも感じない人もいるということ。


何かの誰かの価値観や評価とは無縁に居る。


感性、感覚はその人のもの。
あってるとか、間違えているとか、普通とかもない。


それなのに、いつも誰かの基準や評価を気にして自分を見えない枠の中におさめてる。
そんな私がいる。


周りを見て、自分の収まり所を見つけて生きている私。それがちょうどいいと言いながら、私の内側に溜まっていくフラストレーション。
本当は、それがちょうどいいなんて思ってなくて、こんなもんじゃないと過剰に未知の私に期待してる。


いやいや、周りを見て収まりよく生きようする私はこんなもんだから。


だったらさあ、自分の感性や感覚に素直に耳を傾けてあげて、その私を生きていこう。


自分が満足する。
私がそうしたいからそうする。
それがいいじゃないか。

絵に限ったことじゃなくて、自分の思うことや好きなもの、嫌なこと、価値観、なんでもそう。


自分を大切にするってこういうことかな。
自分を大切にしていきたい。