ぼの様のリクエスト作品になります。蓮さんがかなり性格違います。スマートで紳士な蓮さんがお好きな方はご注意ください。
これまでの話
真夏の海のA・B・C…D -7-
いつものように休憩時間に海の家『だるまや』に足を運んだ蓮は、いつもとは違う光景を目にしていた。
店の前で仁王立ちで自分を迎えるキョーコ。
いつもなら蓮の姿を見つけると子ウサギのようにぴょんと跳ね、渋い顔をしたり、あわよくば逃れようと店の奥に引っ込んだり、視線を彷徨させて不自然に他の客に話しかけたり、諦めたようにため息を漏らしたり。
やってきた己を真っ直ぐ視線をそらさずに見ているなんて蓮にとっては初めてで、思わず顔が綻ぶ。
たとえそれが眉間にしわを寄せて、口を一文字に引締め何かを覚悟したような…笑顔とは程遠く、傍から見たら決して歓迎されているとは思えない表情であっても、だ。
「嬉しいな、出迎えてくれるなんて。とうとう俺が好きだって自覚してくれた?」
「………これが好きな人を出向かる乙女の顔に見えますか?」
相変らず方向の間違った蓮のセリフに、キョーコは自分の顔を指差して唸るように呟いた。
「うん、とってもかわいい」
「敦賀さんは目が悪いんじゃなくて頭が悪いんですね」
君の表情ならどんな表情でも可愛いのに…と首をひねる蓮に、キョーコはますます眉間の縦皺を深くする。が、溜息一つでキョーコは気を取り直し口を開いた。
「敦賀さん、昼食はお済みですか?」
「いや、まだだけど?」
むしろいつも食べやしないんだけど、と蓮は一人心の中で呟く。
でもそのことを口にしなかったのは、なんとなく叱られるか呆れられるかする予感がしたからだ。すっかりキョーコ観察が日課となった蓮は、海の家という飲食店で働くキョーコが食や健康に対して普通以上の感覚を持ち合わせているのを知っている。
『暑いからってあっさりした物ばかりじゃ元気でないですよ?』
『ちゃんとお野菜も食べてます?大将の焼きそばは野菜たっぷりなので良かったらいかがです?』
『もうっ、昼間から飲みすぎですよ!一度お味噌汁いかがですか?シジミのお味噌汁って肝臓にいいんですよ』
キョーコはなじみの客に対して、失礼にならない範囲で色々と世話を焼いている。
食事に関する知識の薄い蓮にも、客商売というフィルターを加味してもそれが客の体調に配慮し健康を意識した食の提案であることは見て取れた。
叱られてもいいから自分の食への意識の低さを晒せばキョーコが他の客に対するように世話を焼いてくれるだろうか?そんなことをチラリと考えるが、そこは恋する男。
構われるのは嬉しいが、不用意に情けない自分を晒したくないというプライドが邪魔をする。
普通の昼休みを過ぎた昼食をとるにはやや遅いこの時間。
キョーコは蓮の仕事が交代制で昼休憩の時間にいつも来るのを知っていた。
しかしいつも来店してはドリンクしか頼まないので、蓮が昼食を済ませてから来店してるのか掴みきれずにいたのだ。蓮の回答にキョーコはほっとした表情を見せ、蓮はそんなキョーコの表情をニコニコとしながら見つめていた。
今の蓮にとって休憩時間いっぱいキョーコの近くにいることの方が最優先事項。
もともと興味のない食事に時間を取られるより、キョーコの居るだるまやで過ごすことに意味があるのだ。だるまやで飲み物を注文し、キョーコを口説きつつ接客に忙しければキョーコをひたすら観察して過ごす。
最初は口説き文句に過剰反応し否定を繰り返して接客中に向けられる蓮の視線に居心地悪そうにしていたキョーコも、すっかり慣れてきたのか最近は蓮の言葉を受け流し、常に注がれる視線すら気にしなくなってきていた。
それがいいのか悪いのか…蓮は思い切り邪険にされなくなった事実は嬉しいのだが意識されていないようでそれはそれでさみしい。それでキョーコの気を引くためにことさら周囲に聞かせる様にキョーコにちょっかいを出しているのが現状だ。
そんな中で予想外のキョーコのお出迎え。
そして意図は掴めないが、自分に対して注文以外の質問を投げかけてくるのも初めてだ。
いつものことろへどうぞ、と促して店の奥に引っ込んだキョーコの言葉を蓮は反芻する。店内を動くキョーコが一番見やすいからと、好んで座る席を『いつものところ』と指し示されたのだ。
(…もう、どうしてくれよう)
案内された席が脚が詰まって窮屈ないつもの丸椅子でなく、少し背の高い椅子に変わっていたことに気づいて恋する男は緩みそうになる表情を隠すかのように無表情になっていた。
ほどなくして、キョーコの様子を思い返していた蓮の目の前に『ドン!』という重量のある衝撃とともに何かが置かれた。その衝撃に蓮は顔を上げる。
「……どうぞ」
どうやらそれは食べ物を乗せた皿のようで、食欲を刺激するスパイシーな良い香りがその皿から漂ってくる。
「これは…?」
自分のところに料理をサーブしにくるキョーコを見逃したことを後悔しつつ、蓮は疑問の言葉を口にした。
まだ何も注文していないにも関わらず自分の目の前に置かれた料理。蓮はキョーコと皿を驚いた顔をして交互に見比べた。
キョーコは蓮の隣の椅子にすとんと座って、少し困ったような申し訳ないような…複雑な表情で視線を彷徨わせていた。
「人として、最低限の礼はしておかなきゃ……と、思いまして」
少し硬いキョーコの声。
カウンター席はあまりゆったりとはしていなくて、客席の間隔は適度に狭い。体格のいい蓮の長い脚と、隣の席に座った。きちんと合わせられたキョーコの両膝が触れあいそうな距離。蓮は思わず膝の上でにぎにぎと蠢くキョーコの拳に手を伸ばしたい誘惑に駆られる。
「あの…その…」
膝の上の拳の動きと同じように、もごもごと言い淀むキョーコ。
その手を掴まえたい誘惑をキョーコの話を聞くために押さえつけて、蓮はキョーコが何を言わんとしているのか考える。
さんざんアプローチを邪険にされ、嫌がる風のキョーコが自分に対して『礼』というのに嬉しさはあっても疑問も隠し切れない。
不思議そうな表情で自分を見る蓮に、キョーコは思い切った様子で口を開いた。
「…この前はっ!助けていただいて、ありがとうございましたっ!!」
言葉と同時にぺこりと頭を下げてたキョーコ。
近い距離に、蓮の膝をキョーコの柔らかな前髪がふわりと撫でた。
「……え?」
(う……そうよね…もう何日も経っているし。今更すぎるわ)
予想だにしてなかったといった蓮の反応に、キョーコは蓮の表情を見れないままそう思った。
「い……いくら敦賀さんが、あんなことをして、連日嫌がらせのように私をからかいに来ているからって…。命を助けてもらったお礼を、私一言も言ってなくて…そのことに、昨日まで気づかないままでいたなんて…」
スイマセン、非常識でした!と頭を下げたまま一気にまくし立てたキョーコに、蓮はぽかんとしたままだった。
「……呆れました?」
蓮の反応がそれ以上得られず、キョーコは恐る恐る顔を上げて蓮の顔を見る。
「あのっ!敦賀さんがこうして私を連日からかいにくるのは正直めいわ…え、いや、ちょっと困るというかなんというか…。でもそれにかまけて、ちゃんとお礼言ってなかった自分が恥ずかしいというか…」
じっと自分を見つめたままの蓮の表情が動かないことに、キョーコは後ろめたくなったが後にも引けず、視線を再び彷徨わせながらつらつらと口にしていた。
「………いや」
しばらくの沈黙の後、蓮が口を開いた。
「当たり前のことをしただけだから…」
いや当たり前の事だけではなかったような…とチラリとツッコミがキョーコの頭の端を掠めたが蓮の表情が変化した瞬間、キョーコは固まってしまった。
キョーコの瞳に映ったのは、神の寵児というにふさわしい、光り輝く様な神々しいまでの蓮の微笑。
もともと美形で注目を集める蓮の容姿で、こんな表情を向けられたら普通の女性ならひとたまりもない。
「でもお礼なら……キス、がいいな」
蓮の手が固まったキョーコの顎を捉えて、神々しい表情がふっと色めいた微笑に変化した。
至近距離での神々スマイルから、何故だか飛び出た次のセリフがソレ。
そういった方向に鈍いキョーコですら赤面フリーズする蓮の表情だったのに、その内容にキョーコは我に返り、顎にかかった蓮の手を振り払って噛みついた。
「おおおお、お礼を要求するって、どどどどういうことですかっ!?」
「………残念」
振り払われた手を引っ込めていつもの笑顔でクスリと笑った蓮に、キョーコはまたしてもからかわれたと憤慨する。
「お礼はそのカレーです!もちろん私のオゴリですのでどーぞ召し上がってください!」
蓮の前に置かれたのはカレーの皿。
キョーコに指差されて、蓮は改めて目の前に置かれた料理に目を向けた。
「あれだけ体を動かすお仕事ですもんね!お腹も減るでしょう?大盛りサービスは私の気持ちです」
言葉はまだちょっと怒った風ではあったが、僅かにはにかんだような微笑を含んだキョーコの表情。
「……………」
蓮は目の前に鎮座したキョーコサービス『大盛りカレー』とキョーコを交互に見つめ、しばし沈黙した。