今朝、久しぶりの晴れ、赤坂山(柏崎市)の紅葉を見に出かけた。途中、旧道に降りて米山町並みを通った。旧道を通ると、思いもかけないものを発見する。(11/2撮影)
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190825/15/simotori-943/fd/d3/j/o1280096014550847482.jpg?caw=800)
米山海岸(日本海)と信越線の線路。海は荒れていた。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190825/15/simotori-943/30/d4/j/o1280096014550847493.jpg?caw=800)
海水浴客の為の施設、津波避難所の指示がある。
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190825/15/simotori-943/2f/bf/j/o1280096014550847501.jpg?caw=800)
ここまで「オンボロロン・・・♪」の小屋は珍しい。
「見渡せば 花も紅葉もなかりけり 浦のとまやの秋の夕暮れ」新古今だったか、思い出した。
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190825/15/simotori-943/d7/1a/j/o1280096014550847510.jpg?caw=800)
鉢崎関所跡の石碑と高田藩(榊原)の「定」の高札。
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190825/15/simotori-943/1c/2a/j/o1280096014550847518.jpg?caw=800)
「たわら屋跡」の標識。
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190825/15/simotori-943/c1/0c/j/o1280096014550847525.jpg?caw=800)
「たわら屋跡」説明版。
松尾芭蕉の弟子曾良の「奥の細道随行日記」に、
元禄二年(1689)七月五日、「申の下刻、至鉢崎、宿たわら屋六兵衛」
七月六日、「雨が晴れたので、昼時に鉢崎宿を出発し黒井から海岸を通り、渡し舟で今町(直江津)に入る」
と記されている。