お久しぶりです。
いつも勝手ですが、今日も勝手にワーシップタイムをおおくりしますねー。
では!早速。
今日は
洞爺丸(とうやまる)沈没のお話しから。
長野県信濃町に宣教に赴いたストーン宣教師の話。
ある日会議の為に連絡船洞爺丸に乗り込んだが、台風の影響で転覆してしまった。
ストーン宣教師は救命胴着を着ていたが、見知らぬ青年に「君はジーザスを信じているか?」と質問をかけ自分の持ってた救命胴着を渡しそこで命を断った。
「十字架は
神があなたを信じてる印だ。だから、助かったら、十字架のある教会に行って話を聞いて欲しい。」
その言葉によって、生き延びた青年は十字架のある教会に行って話を聞き、素直に直ぐに信じた。
ストーン宣教師の身代わりの愛を体感してたからに違いない。
http://www.chiiki-dukuri-hyakka.or.jp/1_all/jirei/100furusato/html/furusato045.htm
今日の箇所は
ジーザスの子供の頃の箇所。
皆で祭りのために同じ地区の人たちは参加するために、皆で移動していた。
その時に、
ジーザスは通常では考えにくい思いがけない行動をした。
家族から勝手に離れある所に留まっていた。ジーザスは行動を別にした為お母さんのマリアさんは心配で心配で探しまくって、見つかったのはなんと三日後。
その時の会話がこれ。
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luk2:48 両親は彼を見て驚き、母は言った。「まあ、あなたはなぜ私たちにこんなことをしたのです。見なさい。父上も私も、心配してあなたを捜し回っていたのです。」
luk2:49 するとイエスは両親に言われた。「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」
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父の家ってのは、マリアさんの旦那のヨセフさんの家ではなくて~
神の宮である教会の事。
当然僕は自分の父である神の宮に居て当然じゃ無いですか~。ですって。
ネー。
不思議ですよね~。
しかし、何故なのでしょう⁈
ジーザスは神の御子と呼ばれてた。
ジーザスは神であり
神の子として地上に生まれた方だった。
人の為に十字架で
死ぬ為に人となられた神の御子。
まだ
当時12歳位。
その時既に自分の存在意味を理解し、その通りに生きていたと云うことなのだろう。
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phl2:6★キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、
phl2:7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
phl2:8★キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
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ストーン宣教師から
救命胴着を受けた青年は
十字架のある教会で話を聴き
直ぐにジーザスがどれ程愛されてるかを知り信じる事になった。
身代わりの愛。
さて、僕らの
アイデンティティはどうだろう?
僕ら一人一人は自分自身の存在意義をどう理解してるだろうか?
僕ら一人一人は
神が命を捨ててまで愛されるに価値ある存在だと理解されてる?
だとすれば
こんな言葉もなるほど~と思える時がある筈。
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mat22:39 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』
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ストーン宣教師は
青年に向かい「君はジーザスを信じているか?」と尋ね、そして救命胴着を手渡した。
神の目で見ると
僕ら一人一人はどれ程高価で尊い方なのか?もう一度知ろうとして見る事は大切かもしれませんね。
自分で理解出来る範囲で
自分の存在を制限されますか?
その囲いを超えて神様の目線で見て見ませんか?
僕らはきっと
素敵な自分自身に出会える筈だから。
そして
周りに居る方々がどんなに素晴らしい方々であるかに気付き、そして愛する事も出来てくるに違いない。
それが本来ある僕らの姿。
バイブルはとても不思議。
今週も素敵な真理を体験出来ます様に。
(^。^) 祈ってます。
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luk2:41 さて、イエスの両親は、過越の祭りには毎年エルサレムに行った。
luk2:42 イエスが十二歳になられたときも、両親は祭りの慣習に従って都へ上り、
luk2:43 祭りの期間を過ごしてから、帰路についたが、少年イエスはエルサレムにとどまっておられた。両親はそれに気づかなかった。
luk2:44 イエスが一行の中にいるものと思って、一日の道のりを行った。それから、親族や知人の中を捜し回ったが、
luk2:45 見つからなかったので、イエスを捜しながら、エルサレムまで引き返した。
luk2:46 そしてようやく三日の後に、イエスが宮で教師たちの真中にすわって、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。
luk2:47 聞いていた人々はみな、イエスの知恵と答えに驚いていた。
luk2:48 両親は彼を見て驚き、母は言った。「まあ、あなたはなぜ私たちにこんなことをしたのです。見なさい。父上も私も、心配してあなたを捜し回っていたのです。」
luk2:49 するとイエスは両親に言われた。「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」
luk2:50 しかし両親には、イエスの話されたことばの意味がわからなかった。
luk2:51 それからイエスは、いっしょに下って行かれ、ナザレに帰って、両親に仕えられた。母はこれらのことをみな、心に留めておいた。
luk2:52 イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された。
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