おはようございます。
先週はサボっちゃってホンマに勝手で申し訳ありません。本日も勝手にワーシップタイムをおおくりしますね。
時間があるとき読んでくださったら幸いです。
メッセージは横井正一さんの話から。終戦と云う大切な情報を知らされずにさまよい続けた横井さんは戦後28年後に「恥ずかしながら戻って参りました」と日本に戻ってこられた。28年も前に終わった事で、心おびえながら過ごした日々を考えると本当に可愛そうとしか言いようが無い。
終戦という事実は全ての人が知らなければならない事だった。
そんな知らなければならない事実にも関わらず
僕らに余り知られていない事実が実ははバイブルの中に記されている。
だから、パウロさんは
こう語っている。「あなた方は知らないのですか?!・・・」
知らなきゃ~検討違いの時を過ごすよ。損だよ。というメッセージ。
しかし、この箇所は実はクリスチャンもチャンと理解してる人は多くないかもしれない。
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rom6:11 このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。
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それは、戦争が終了したと云う以上のもの。だって、僕らは既に死んでる?!というものだからだ。
「お前は既に死んでいる?」北斗の拳のような言葉。
訳わかん無いでしょ~。
でも、神様の視点に立つ事でこの意味がわかってくる。
先ずは第一に「時」と命の理解。
次のステップとして「罪」そして死の理解が必要。
先ず
「時」をみていこう。
先ず2つの「時」を理解しなければなら無い。
一つは僕らが一般的に云う時というモノ。僕らに平等に与えられている時だ。
コレと同時にもう一つの時を理解しなければなら無い。それは、全く何ものにも制限され無い神様側からの視点の「時」だ。
神は全てを創られた。
それは、時をも創られたという事。
時を創られたという事は、
神にとっては過去現在未来は同時に体験出来る超越した方だという事を理解する必要がある。
神様にとって今が過去であると同時に将来でもあるという事。あのノアの方舟の時代と同時に僕らのこの平成の時代を同時に居てるという事。
不思議だけど神様はそんな存在だもんね。
で。
続いて命について。
命は実は2通りある。
ん?と思われるかもしれないが、少しだけ耳を傾けて。
一つは僕らがいつも感じている肉体における命。そして、もう一つは、神様が初めに与えられた霊の命だ。
肉体の命は魂として僕らは理解しているけれども、人には特別にもう一つの命を神様は与えられていた。それが、神様と共に永遠に生きるための霊による命だ。神様は僕らを永遠の友として愛する存在として創られた為に与えられた命。それがバイブルでいう永遠の命。
この霊による命は、アダムとエバが、神様の言葉よりもサタンの言葉を信じて従った事により、僕らの内から取り去られている。
神様の計画はそれでは終わらなかった。大切な愛している人を取り戻す為に人の罪の罰を受けに地上で代償を払われた。ジーザスの十字架による死だ。
このジーザスの死によって、僕らの罪の罰(代償)は全て払われ、僕らはもう一度神様が与えられる本来の命(霊の命)を再び得る事になる。
その事実を信じるだけで。
次のステップとして「罪」そして死について。
では、
その罪について。
これは、原語の意味としては「的外れ」の意味があり、神様からズレてるという意味だ。ズレが生じたのは何処からなのか?それは、サタンだ。
サタンが存在しなければ僕らはズレることもなく、罪もバイブルも必要が全く無かったに違いない。しかし、サタンが居て僕ら人はそのサタンの言葉に従ってズレを選択し罪を犯し続けている。
神様にないズレた行為とは、嘘・妬みも含まれる実際に行う行為だけではない思いも含まれている。ズレて汚れている僕らはそのままでは神様の領域には入る事が出来ない。
だから、ジーザスが必要だ。ジーザスの十字架の血はその僕らが日々ズレちゃう「罪」の汚れを一掃する。
何故そう云えるのだろう?
囚人は同じ囚人の罰を背負う事は出来ない。それは、自分の罰を受けなくてはならないからね。ジーザスは、サタンによってズレる事が無かった為に、僕らの罪を背負う事が出来る唯一の方だからだ。
其処で「死」がどう働くのか?という事が理解のカギとなる。
命がなくなると其処には、何も残らなくなる。
だって、死んじゃったんだから。
もう罪を犯す事も出来ない。
何故なら
死んだ後には、何にも出来ないのだから。
少し見えてきたかも。。。ね。
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rom6:11 このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。
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僕らがジーザスを信じるという事は、ジーザスの死を受け入れるという事。其処には、神様の時をもう一度思い起こす必要があるから気をつけて。
過去現在未来を同時に過ごすことが出来る神様の計画の中で、僕らの将来までに犯す全ての罪は、2000年前のジーザスの十字架の死によってその代償は払われた。・・・という事は、この神様の計画を信じた瞬間に、僕らはジーザスの死によって既に死んだという意味合いをもつことになる。
で・・・。
実はジーザスは死を体験したにも拘らず、復活して神様の領域である天に今おられる。
だから、僕らもその復活に預かって、本来の命(霊の命〔永遠の命〕)を得て生きる事が出来るという事。
不思議な世界を感じますね。
僕らは目に見えるものが全てだと感じて生きてきた。でも、目に見えないものによって僕らは生かされていることに目を向ける事が出来る。
もう一度復習の意味でこんな言葉を。
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rom6:7 死んでしまった者は、罪から解放されているのです。
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どう?
なんとなく解ってきましたね。
将来の全て犯しちゃうだろう罪の罰をジーザスが負って死なれたから、僕らにはその代償を払う義務は既に無くなっちゃったって事だ。
僕らは日々ズレる。
僕らの肉体はサタンの遺伝子が組み込まれたように、したくない事でもしちゃう性質がある。また、この世の支配者であるサタンによって歪んだ世界で僕らは日々ズレる。
でも、神様の「時」に立って真実を見るとき、
ジーザスの死によって、僕らは既に死んだものであり、ジーザスの復活により僕らは生かされている事を知る事になる。
これは真実だ。
バイブルの世界は不思議が一杯。
それは、僕らが制限された肉体の中で全てを把握しようとするから。
創られた僕らが全てを把握する事なんて出来やしない。
もしかしたら・・・。
そんな思いで、少し神様を見上げてみれば解ってくる。
日々犯す罪。罪悪感で僕らは沈む必要がなくなる。
そもそもソンナ罪によって体が縛られなくなっちゃうんだから。
罪を解決してくれた神様によって。
僕らには神様が用意された驚くほどの希望が生まれてくる。
そのまま、今日も神様の前にいきませんか?
ジーザスはその全てを知り尽くした上で、僕らを愛しその代償を払われたんですから。
大丈夫!!
僕らは本気で愛されているから。
今週もそんな神様に祈りながら過ごせたらイイデスネ。
素敵な一週間を過ごせますように。
今週の箇所はコチラ。
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rom6:1 それでは、どういうことになりますか。恵みが増し加わるために、私たちは罪の中にとどまるべきでしょうか。
rom6:2 絶対にそんなことはありません。罪に対して死んだ私たちが、どうして、なおもその中に生きていられるでしょう。
rom6:3 それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。
rom6:4 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに 葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光 によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。
rom6:5 もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。
rom6:6 私たちの古い人 がキリストとともに 十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷 でなくなるためであることを、私たちは知っています。
rom6:7 死んでしまった者は、罪から解放されているのです。
rom6:8 もし私たちがキリストとともに 死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。
rom6:9 キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはなく 、死はもはやキリストを支配しないことを、私たちは知っています。
rom6:10 なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられる のは、神に対して生きておられる のだからです。
rom6:11 このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対しては キリスト・イエスにあって生きた者 だと、思いなさい 。
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