僕らは今日も何かを選んで信じている。。。 | へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

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僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

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【詩篇29篇】o19  ダビデの賛歌


psm29:1  力ある者の子らよ。主に帰せよ。栄光と力とを主に帰せよ。

psm29:2  御名の栄光を、主に帰せよ。聖なる飾り物を着けて主にひれ伏せ。

psm29:3  主の声は、水の上にあり、栄光の神は、雷鳴 を響かせる。主は、大水の上にいます。

psm29:4  主の声は、力強く、主の声は、威厳がある。

psm29:5  主の声は、杉の木を引き裂く。まことに、主はレバノンの杉の木を打ち砕く。

psm29:6  主は、それらを、子牛のように、はねさせる。レバノンとシルヨンを若い野牛のように。

psm29:7  主の声は、火の炎を、ひらめかせる。

psm29:8  主の声は、荒野をゆすぶり、主は、カデシュの荒野を、ゆすぶられる。

psm29:9  主の声は、雌鹿に産みの苦しみをさせ、大森林を裸にする 。その宮で、すべてのものが、「栄光。」と言う。

psm29:10  主は、大洪水のときに御座に着かれた。まことに、主は、とこしえに王として御座に着いておられる。

psm29:11 主は、ご自身の民 に力をお与えになる。主は、平安をもって、ご自身の民を祝福される。

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おはようございます。

お久しぶりです。

昨朝帰阪して、モウロウトスル中で仕事を終え、ようやく睡眠して復活しました。

皆さんどんなお休みを過ごされましたか?



今日も素敵に過ごせますように。

では早速ダビデさんの詩篇を。

今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm29:10  主は、大洪水のときに御座に着かれた。まことに、主は、とこしえに王として御座に着いておられる。

psm29:11 主は、ご自身の民 に力をお与えになる。主は、平安をもって、ご自身の民を祝福される。





全てを支配される神様が、

ご自身の民に力をお与えになられてる。



この世はサタンの支配下にあるが

その上で神様は支配される。



神様の支配を受けるには、サタンの支配でも必ず神様がされる!と信じる事が必要。



目に見える・体感させられるサタンの働きを受け入れる(信じる)のは簡単だ。

でも

目に見えない、バイブルにある約束を受け入れる(信じる)ことは正直難しい。





信じることによってその支配を受けることになるのなら・・・

僕らは何を信じるかを意識して過ごさなければならない。。



安易に目に見えるものを受け入れていませんか?

僕らは実はサタンに従ってる事が多いのかもしれませんね。





身体がシンドイ

世の中に疲れているのなら

真実に支配されている神様を益々選んで信じて過ごしたいですね~。




では、今日も何を選ぶのか?

しっかり意識して過ごしましょうね。





心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?



僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.




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詩29篇「(御座に)着く」 יָשַׁב ヤーシャヴ

〔カテゴリー統治〕

10節
「主は大洪水のときに御座に着かれた。主は、とこしえの王として御座に着いておられる。」

Keyword; 「着く、着座する」 sit, enthroned, rule, reign, dwell, seat,
2:4/9:4, 7, 11/22:3/29:10, 10/33:14/47:8/68:16/80:1/99:1/102:12/110:1/113:5, 8, 9/123:1/

  • ヤーシャヴיָשַׁב(yashav)は旧約全体で1,084回、詩篇でも61回という使用頻度の多い動詞です。原意は「座る」(to sit、sit down)で、そこからさまざまな意味が派生して用いられています。「住む」(to dwell)、「とどまる」(to remain, to abide)、「暮らす」(to live)、「王座に着く、御座に着く」(sit enthrond)、等。
  • このヤーシャヴיָשַׁב(yashav)は、人にも神にも使われますが、神に使われる場合には「座す、住む」ことが、神として最もふさわしいところにおられることを意味します。たとえば、有名な詩22篇4節に、「あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。」(新改訳)、「イスラエルのさんびの上に座しておられるあなたは聖なる方です。」(口語訳)とあるように、聖なる神が座すところ、住まうところは「御座」あるいは、「王座」と呼ばれます。そこにおいて、神はすべてのものを統治し、愛をもって支配しておられます。と同時に、天におられる神は神に逆らって立つ者に対して、その無力さのゆえに、「笑っておられる―(全く問題とされないという意味で)」(詩2篇4節)のです。
  • 詩29篇10節の「主は大洪水のときに御座に着かれた」とは、神の裁きの権威を意味します。この権威は王としてのものであり、神による永遠の統治用語です。この動詞がなぜ恩寵用語かというならば、神は正義をもって全宇宙を支配されるゆえに、私たちは自分から報復の必要はないからです。神が正義をもってすべてを裁かれる時が来るからです。
  • 新約のエペソ人への手紙の重要なキーワードの一つは「座す」という動詞です。「座す」ことがなければ、「歩く」ことも「立つ」こともできません。神がキリストをよみがえらせた究極の目的は「天の所に座らせる」ことです。「神は全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました」(エペソ1:20,21) とあるとおりです。
  • 神の右の座とは「勝利の場」であると同時に、「最も信頼されているあかしの場」です。このキリストとともに、私たちは、「生かされ」「よみがえらされ」「天の所に座らせて」くださったのです(同、2:6)。これは詩113篇5~9節の成就です。
  • 驚くべきことに、そこは天にあるすべての祝福の場所であり、神のすべての権威の基がある場所です。キリストが神の右に座すことによって、私たちにも「御座の祝福」が与えられているのです。このことを信じる者は幸いです。

http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs29

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