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【詩篇23篇】o19 ダビデの賛歌
psm23:1 ★ 主は私の羊飼い 。私は、乏しいことがありません。
psm23:2 ★ 主は私を緑の牧場 に伏させ、いこいの水のほとり に伴われます。
psm23:3 主は私のたましいを生き返らせ、御吊のために、私を義の道に導かれます。
psm23:4 ★ たとい、死の陰 の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰め です。
psm23:5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。
psm23:6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。
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おはようございます。
昨日なでしこを応援してて寝ぼう・・・。
なので早速共に詩篇を。
今日僕の心に留まったのはこんな言葉。
psm23:1 ★ 主は私の羊飼い 。私は、乏しいことがありません。
これは、僕のカナリのお気に入りの言葉。
暗記して
いつも言葉を発していた。
何故だろう?
それは
僕の目には貧しすぎて、乏しすぎた状況が続き
希望がほぼ失われつつあったからだ。
目に見えるものを受け入れることで
神様が用意されている真実を見ることが出来なくなる可能性が高くなるから。
神様が用意されているモノが目の前にあっても
真実を見る目を失望によって失えば、それを受け取れなくなると知ったから。
是非
暗記して、失望してまう時、ガンガン呟きませんか?
心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?
僕らは今日も大丈夫!!
神様・・
eps1:17 どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、私に与えてくださいますように。
eps1:18 また、私の心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、
eps1:19 また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、私が知ることができますように。
ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.
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詩23篇「伏させる」 רָבַץ ラーヴァツ
〔カテゴリー育成〕
2節「主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。」(新改訳)
2節「主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い」(新共同訳)
Keyword; 「臥させる、休ませる」 make lie down, lay down 23:2/104:22
- 「主は私を緑の牧場に伏させ」の「伏させる」という動詞は、「横たわる」「臥す」を意味するラーヴァツרָבַץ(ravats)の未完了、使役・能動態が使われ、「臥させて休ませる」という意味です。旧約では30回、詩篇では2回(23:2, 104:22)しか使われていません。
- 羊がお腹いっぱい草を食べたあと、柔らかな草を食べて満腹した羊が、満足そうに、ゆったりと休んでいる姿をイメージさせます。まさにここのテーマは「休息」、ないしは「安息」です。
- ゆとりのない忙しい生活、万年疲労の生活の行き着くところはどこでしょう。必ずいつかは倒れます。張りつめた弓の糸をゆるめるように、緊張を解く時が必要です。良い羊飼いとかかわることで、私たちに必要な休息が与えられるのです。主イエスは言われました。「すべて疲れた人、重荷をもっている人はわたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)と約束しておられます。
- 音楽の流れにも休符があります。ときには、「ゲネラル・ポーズ」といって一瞬の完全休止があります。その一瞬の完全終止は、音楽の流れに、より緊迫感と流れに新鮮さを与えます。私たちの生活にもそのような休息がなければなりません。
- いつもなにかをしていないと不安になってしまうワーカーホリック。それは休みたくても休めない現代の心の病です。詩篇の中には、真の休息、ゆとり、安眠の祝福を与えられた者たちがいます。ちなみに、イエス・キリスト自身がそうでしたし、
- 詩3篇、詩4篇もその恵みを味わった人がおります。「私は身を横たえて(伏して)、眠る。私はまた目をさます。主が支えてくださるから。」(3:5) 「あなたは、私の苦しみのときに、ゆとり(くつろぎ)を与えてくださいました。」(4:1) 「平安のうちに私は身を横たえ、すぐに眠りにつきます。主よ。あたなだけが、私を安らかに住まわせてくださいます。」(4:8)・・ここでの「身を横たえる、伏して」のへブル語動詞はシャーハヴשָׁכַב(shaphab)が使われています。
- ある意味で、人生の最大の課題は、どのようにして身を横たえて休息し、また眠ることができるかということです。身を横たえることはだれでもできます。しかし問題は、安らかに眠れるかどうかです。詩篇の作者は、「私の羊飼いである主は、私を緑の牧場に伏させてくださる」方であると告白しています。現代のだれもが、心の安心、安定、安息を求めています。主にある安息の祝福は私たちの生涯をかけるほどの価値があると信じます。
http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs23
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