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psm119:73 あなたの御手が私を造り、私を形造りました。どうか私に、悟りを与えてください。私があなたの仰せを学ぶようにしてください。
psm119:74 あなたを恐れる人々は、私を見て喜ぶ でしょう。私が、あなたのことばを待ち望んでいるからです。
psm119:75 主よ。私は、あなたのさばきの正しいことと、あなたが真実をもって私を悩まされたこととを知っています。
psm119:76 どうか、あなたのしもべへのみことばのとおりに、あなたの恵みが私の慰め となりますように。
psm119:77 私にあなたのあわれみを臨ませ、私を生かしてください。あなたのみおしえが私の喜びだからです。
psm119:78 どうか高ぶる者どもが、恥を見ますように。彼らは偽りごとをもって私を曲げたからです。しかし私は、あなたの戒めに思いを潜めます。
psm119:79 あなたを恐れる人々と、あなたのさとしを知る者たちが、私のところに帰りますように。
psm119:80 どうか、私の心が、あなたのおきてのうちに全きものとなりますように。それは、私が恥を見ることのないためです。
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おはようございます。
問題は次から次へと起こるもんですね。でも、解決も神様は用意されてる事が問題の背後で体感できるのは、問題があるからかも・・・なんて思える今日この頃です。
では早速共に詩篇を。
僕の心に留まった言葉はコレ。
psm119:75 主よ。私は、あなたのさばきの正しいことと、あなたが真実をもって私を悩まされたこととを知っています。
psm119:76 どうか、あなたのしもべへのみことばのとおりに、あなたの恵みが私の慰め となりますように。
神様の事を
あなたが真実をもって私を悩まされる方と語ってる。
それはその問題を通してあなたの恵みが私の慰め と何度も体感したからなんだよね。きっと。
僕らもこの体験をすることは出来るんだよね。
苦しみ・悩みは真実の目を開かせてくれる為でもあるって事が解ってくる。
ただ、今訳解らないのはサタンの支配の中で真実を隠されてるだけだから。
そして
ここに記されてるように、誰もが
『 あなたの教えがわたしの喜び 』 という体験も今は出来なくても出来るようになる。
だって・・・。
僕らは神様によって、神様に似せて堅くたつことが出来るように創られたんだもんね。
大丈夫。
今の自分がどれほど・・其処から遠い存在のように思えても。
大丈夫。
本当のあなたは、後々不思議なくらい素敵な存在に気付くから。
だから
僕らが目を向ける方向だけ気をつけよう。
詩篇の作者と共に、神様に目をむけ騙されないように共に言葉を発していきましょうね。
言葉を発することは
神様が用意された言葉に信頼をするっていう意思表示。
そこを選んだことは神様を信頼したっていう意味だもんね。
神様は誰よりも喜んで、その信頼を支えて更に真実へと目を開かせて下さる。
ジーザスもこう語ってる。
静かに耳を傾けてみよう。
jhn8:31 そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。
jhn8:32 そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」
苦しみ・悩みは神様が作り出しているのではない。
この世を支配しているサタンが作り出しているものだけど、この事を通しても僕らに益となるように支えてくれている。僕らが真理を知って、本当の自由を体験して欲しいと願ってくれてる。
見えにくいけど
少しづつでいいから苦しみ・悩みの向こう側に神様が用意されてるものをみていけたらイイネ。
少しづつで大丈夫。
神様はその真理を見る目を通して僕らをさらに自由にする。
自由を体験すると、苦しみ・悩みが神様への喜びにもなってくるだろうから。
今日の苦しみ・悩みの向こう側をみていこう。
一緒に・・ね。
だって、今日も神様が備えられた素敵な一日だから。
苦しみ・悩みの向こう側にある素敵を捜しに一緒に出かけましょうね~。
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73節「あなたの御手が私を造り、私を形造りました。」(新改訳)
73節「あなたのみ手がわたしを作り、わたしを固くした。」(関根訳)
Keyword;「堅くする、堅く立てる」 set up, make firm, establish, 119:5, 73, 90, 133/
- 73節にある「あなたの御手が私を作り、私を形造りました。」ということば、前者の「あなたの御手が私を作り」とは、私を創造されたという意味です。しかし、後者の「私を形造る」というのはどういうことなのか、この訳ではイメージがつかめません。しかし原語を調べるてみると、ここで使われている動詞はクーン(kun)で、「堅く立てる」「堅く据える」という意味です。このことばが礼拝用語、つまり、人から神に向けられた意味になりと、「ゆるぎません」「定まりました」という意味になります。
- 詩119篇73篇は恩寵用語として使われています。詩篇119篇では、他に3回使われています。「どうか、私の道を堅くしてください。あなたのおきてを守るように。」(5)。「あなたの真実は代々に至ります。あなたが地を据えたので、地は堅く立っています。」(90)「あなたのみことばによって、私の歩みを確かにし、どんな罪にも私を支配させないでください。」(133)
- このように、クームのイメージは、私を神の御前にしっかりと立たせる、堅く立たせる、確固とした、不動の者としてくださるというイメージです。これはまさに神が私の創造者であるゆえに可能なことであり、人だけでなく、神が選んだ都であるシオンに対しても、同様に、神はとこしえに打ち立てられるのです。
- 信仰によって堅く立つことの大切は、新約時代の私たちにも語られています。使徒パウロはこう述べています。
「あなたがたを堅く立たせる事のできる方」(ローマ16:26)。
「神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。ですから、愛する兄弟たち、堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざにはげみなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」(Ⅰコリント15:57~58)
- 使徒ペテロも同じくこう述べています。
「あらゆる恵みに満ちた神。すなわち、あなたがたをキリストにあって、その永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで、完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。(Ⅰペテロ5:10)。
- 使徒ユダも手紙の最後に次のように述べています。
「あながたをつまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びをもって、栄光の御前に立たせることのできる方に、栄光、尊厳、支配、権威が、永遠の先にも、今も、また世々限りなくありますように。アーメン」(24, 25)
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