苦しみの背後に何が見えますか? | へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

。。。。。。。。。。

 

【詩篇119篇】o19i(テテ)


psm119:65  主よ。あなたは、みことばのとおりに、あなたのしもべに良くしてくださいました。

psm119:66  よい分別と知識を私に教えてください。私はあなたの仰せを信じていますから。

psm119:67  苦しみに会う 前には、私はあやまちを犯しました。しかし今は、あなたのことばを守ります。

psm119:68  あなたはいつくしみ深くあられ、いつくしみを施されます。どうか、あなたのおきてを私に教えてください。

psm119:69  高ぶる者どもは、私を偽りで塗り固めましたが、私は心を尽くして、あなたの戒めを守ります。

psm119:70  彼らの心は脂肪のように鈊感です。しかし、私は、あなたのみおしえを喜んでいます。

psm119:71 苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。

psm119:72  あなたの御口のおしえは、私にとって幾千の金銀にまさるもの です。


 

。。。。。。。。。。


おはようございます。

連日職場での色んな戦いで疲れてしまっている。

正直しんどいけれども、この問題の背後にも神様は働かれる筈と信じて今日も踏ん張りやす。



では、今日も早速詩篇を共に。

今日の僕の心に留まったのは、コレ。

psm119:71 苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。





ん・・・?

苦しみが幸せ???アホか!

なんて普通思うよね。



でも、神様を信じた人と出会うのが

「苦しみ」・問題に出会って良かった~って話。

不思議だよね。



実は僕もだわ。




でも

神様が苦しみを与えてるの?なんて疑問もあるよね。

ソレは全くの誤り。


問題、苦しみは今の世界の支配者がサタンだから起こされるモノ。

神様はそれを益と変えようとされる為に、留める手を引き、近くで見守られる。




まるで、合気道のようにソレを利用し

僕らの目を覚まして、いつくしみ深い神様との出会いを与えてくれる。

psm119:68  あなたはいつくしみ深くあられ、いつくしみを施されます。どうか、あなたのおきてを私に教えてください。



サタンがどれだけ僕らを支配をして苦しめようとしても

全く問題ない。

それ以上に、神様のいつくしみ深さが僕らをとりまいて包んでいるんだから。




様々な出来事・思いの背後に神様が働いてる姿を見る練習をする事は益になる。

苦しみの背後にさえも。


自分の弱さ・貧しさに出会うときも・・・そう。




大丈夫。

本気で愛してくれる方によって、僕らは包まれているから。





今日も素敵な一日を神様が備えられた。

隠された素敵を捜しに今日も一緒にでかけましょうね。


・・・・・・・・・・

http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E3%80%8C%E3%81%84%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%81%97%E3%81%BF%E3%82%92%E6%96%BD%E3%81%99%E3%80%8D

68節「あなたはいつくしみ深くあられ(טוֹב)、いつくしみを施されます(יָטַב)。」(新改訳)

Keyword;「善を行なう、幸いな暮らしをする、しあわせにする、喜ぶ、よくしてやる」
33:3/36:3/49:18/51:18/69:31/119:68/125:4  go well, do well, make prosper,

  • 「いつしみを施す」と訳されたヤータヴיָטַב(yatav)は、旧約で115回、詩篇では7回使われています。新改訳では36:3, 51:18, 119:68, 125:4は神の恩寵用語として「いつくしみを施す」と訳され、69:31は「主を喜ばす」という礼拝用語として使われています。33:3は「巧みに(skillfully)」弦をかき鳴らすという礼拝用語として訳されています。
  • このヤータヴの本来の意味は、神が良い方であり、私たちに良いことしかなさらない方であるということです。この土台に立って、その神の善に与る者も、神に対して良いもの、最善のものをささげて神とかかわるという意味があります。33:3の「巧みに」というのもその現われです。創世記4章に登場するカインはそうしたかかわりをもって神にささげものをしなかったゆえに、主から「あなたが正しく行なったのであれば、受け入れる」と暗に叱責されていますが、その「正しく行なう」ということばがヤータヴです。つまり、弟のアベルとは違って兄のカインは、神に最良のものをささげなかったことが指摘されているのです。本来ならば、神はいつも良いことをしてくださるので、私たちに対しても良いささげものがなされることを期待しておられるのです。
  • 神が「いつくしみを施し」てくださることで、幸いな暮らしをすることができます。神は神の民である者に対して、生存と防衛の保障を与えることをだれよりもよしとする方だからです。私たちとかかわる者も私たちに「よくしてくれる」ことがあります。しかしそれはしばしば利害関係が絡んでいるかもしれません。純粋に良いことをしてくださるのは神のみです。また、私たちが「良い」と思うことも、短絡的に考えていることがあるかもしれません。一見、不幸な出来事に遭遇したり、貧乏くじを引いたような境遇に置かれたりするような決して良いとはいえないように思えるときがあります。しかし、神の「いつくしみ」は、私たちの思いを超えて、すべてのことを相働かせて益としてくださるのです。
  • ヤコブは、かつて騙した兄エソウが400人を引き連れて迎えに来られることを知って不安にかられて、「わたしは必ずあなたをしあわせにする(יָטַב)」と言われた主の約束を握って、必死で祈っています(創世記32:9, 12)。ヤコブの不安は取り越し苦労だったのですが・・。
  • ヤータヴיָטַב(yatav)は、申命記とエレミヤ記の特愛用語です。申命記は約束の国に入ろうとしている第二世代の者たちに向かってモーセが語った訣別説教です。そこには、神の民が「しあわせになる」ために、神の命じるすべての道を歩むように何度も繰り返して語っています。神は私たちがしあわせになることをだれよりも望んでおられる天の父です。すべての良いものは、天の父から来るのです。この方を自分の父として持つ者は幸いです。

・・・・・・・・・・