。。。。。。。。。。
psm96:2 主に歌え。御名をほめたたえよ。日から日へと、御救いの良い知らせを告げよ。
psm96:3 主の栄光を国々の中で語り告げよ。その奇しいわざを、すべての国々の民の中で。
psm96:4 まことに主は大いなる方、大いに賛美されるべき方。すべての神々にまさって恐れられる方だ。
psm96:5 まことに、国々の民の神々はみな、むなしい。しかし主は天をお造りになった。
psm96:6 尊厳と威光は御前にあり、力と光栄は主の聖所にある。
psm96:7 国々の民の諸族よ。主にささげよ。栄光と力を主にささげよ。
psm96:8 御名の栄光を主にささげよ。ささげ物を携えて、主の大庭にはいれ。
psm96:9 聖なる飾り物を着けて、主にひれ伏せ。全地よ。主の御前に、おののけ。
psm96:10 国々の中で言え。「主は王である。まことに、世界は堅く建てられ、揺らぐことはない。主は公正をもって国々の民をさばく。」
psm96:11 天は喜び、地は 、こおどりし、海とそれに満ちているものは鳴りとどろけ。
psm96:12 野とその中にあるものはみな、喜び勇め。そのとき、森の木々もみな、主の御前で、喜び歌おう。
psm96:13 確かに、主は来られる。確かに、地をさばくために来られる。主は、義をもって世界をさばき、その真実をもって国々の民をさばかれる。
。。。。。。。。。。
おはようございます。
昨日、一昨日は少しサボってました。ゴメンなさい。
ゴールデンウィークいかがお過ごしですか?
お休みを取れない方も多いと思いますが、休息はやはり必要ですね。
今日、僕の心に留まった言葉はコレ。
psm96:8 御名の栄光を主にささげよ。ささげ物を携えて、主の大庭にはいれ。
でましたね。僕がいつも気になる言葉。『 主の大庭 』
それにしても、ささげ物ってなんだろう?
ささげ物は『コルバン』と云われ
「近づく 」「近づける」「近づかせる 」と言う意味がある。ささげものは「主に対して」だけであることが強調されていることから、「神と民との交わり 」を表わしている。との事だ。
確か、礼拝も『プロ・スクネオ』という言葉で
意味は:近づいて・キスをする。っていう意味だと知って驚いた記憶がある。
子供を呼んで、キスをしてって云ってる親のようなイメージが初めて湧いてきた。不思議だった。
ささげ物って、なんや神様もオイラ達に徴収を課すんのかい?
って思ってたことがあった。
でも、この解説を見る限りでは全くそんな事は感じられない。
近くにおいでな!って・・・招かれているだけのような気がしてならない。
皆さんはどう感じられますか?
神様が近づいてって云われる『主の大庭』を体感されてはどうでしょう?
僕らは神様の支配のエリアに入るのか?
それともサタンの支配しているエリアに留まるのか選択が委ねられている。
あえて
サタンを選ぶ人は居ないだろうと思うけど、現状に留まるって事はソレを選択してるって事だと気付く必要がある。
神様は今日も『近づいて』 『主の門』に入っておいでと招かれている。
後は、僕らの決断だ。
今日も神様が用意された素敵な一日。
隠された素敵な事を数えながら、今日も一緒にでかけましょうね。
いつもの参照サイトはコチラ。
http://meigata-bokushinoshosai.info/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs96
3節「確かに、地をさばく(שָׁפַט)ために来られる。主は、義をもって世界をさばき(שָׁפַט)、その真実をもって国々の民をさばかれる(שָׁפַט)。」(新改訳)
王の詩篇と言われる93~99篇の一連の詩篇の中に貫いている思想は、王である主の職務が「さばく」ということです。王の統治が正しいさばきによってなされることは、私たちにとって恩寵なのです。しかも、公正をもって、義をもって、真実をもって、そして愛をもって。
- 最初の詩93篇では、
特に、王である主の風格が宣言されているのが特徴ですが、同時に、「王の御座はいにしえから堅く立ち」 (2節)、その御座は「さばき」の御座であることが、続く詩篇の中で明らかにされていきます。
- 詩94篇2節では、
①「地をさばく(שָׁפַט)方よ。立ち上がってください。高ぶる者に報復してください。」
①「全地の裁き手として立ち上がり」(新共同訳)
と嘆願の祈りがなされています。 - また、19節では、
②「さばき(מִשְׁפָּט)は再び義に戻り、心の直ぐな人はみな、これに従うでしょう。」
②「正しい裁きは再び確立し、心のまっすぐな人は皆、それに従うでしょう。」(新共同訳)
- 詩95篇では、さばきを表わす語彙はありませんが、荒野の40年間、贖われた民の第一世代が「心の迷う民、わたしの道を知ろうとしない民」に対して、怒って誓ったことば「確かに彼らは、わたしの安息に、はいれない。」が記されています。
- 詩96篇10節後半の
①「主は公正をもって国々の民をさばく(דִּין)。」(新改訳)
同篇の13節
②「確かに、地をさばく(שָׁפַט)ために来られる。主は、義をもって世界をさばき(שָׁפַט)、その真実をもって国々の民をさばかれる(שָׁפַט)。」(新改訳)
詩篇96篇では、特に、主が、地を(諸国の民を)さばくために「来られる」ということが強調されている。
- 詩97篇
①2節後半
「義とさばき(מִשְׁפָּט)が御座の基である。」(新改訳)
「正しい裁きが王座の基をなす」(新共同訳)
②同節、8節
「シオンは聞いて、喜び、ユダの娘たちも、こおどりしました。主よ。あなたのさばき(מִשְׁפָּט)のために。」
- 詩98篇
9節「確かに、主はさばき(שָׁפַט)のために来られる。主は義をもって世界をさばき(שָׁפַט)、公正をもって国々の民を、さばかれる(שָׁפַט)。」
- 詩99篇
4節「王の力は、さばき(מִשְׁפָּט)を愛する。・・あなたは、ヤコブの中で、さばき(מִשְׁפָּט)と正義を行われた。」
このように、王としての職務は正しく、公平に、真実をもって「さばく」ことにあります。
ソロモンがギブオンで王として即位したとき、主は夢の中で彼に現われ「あなたになにを与えようか。願え。」と仰せられました。ソロモンは「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。」と言いました。この願い事は主の御心にかなったと記されています。
ソロモンに与えられたさばきの知恵は、ふたりの遊女の訴えをさばいた話(列王記第一、3章16~27節)―「どちらが本当の母親か」ーによく描かれています。