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【詩篇79篇】o19 アサフの賛歌
psm79:1 神よ。国々は 、ご自身のものである地に侵入し、あなたの聖なる宮 をけがし、エルサレムを廃墟としました。
psm79:2 彼らは、あなたのしもべたちのしかばねを空の鳥のえじきとし、あなたの聖徒たちの 肉を野の獣に与え、
psm79:3 聖徒たちの 血を、エルサレムの回りに、水のように注ぎ出しました。彼らを葬る者もいません。
psm79:4 私たちは隣人のそしり となり、回りの者のあざけりとなり、笑いぐさ となりました。
psm79:5 主よ。いつまででしょうか 。あなたは、いつまでもお怒りなのでしょうか。いつまで、あなたのねたみは火のように燃えるのでしょうか。
psm79:6 どうか、あなたを知らない国々に、御名を呼び求めない王国の上に、あなたの激しい憤り を注ぎ出してください。
psm79:7 彼らはヤコブを食い尽くし、その住む所を荒らしたからです。
psm79:8 先祖たちの咎を、私たちのものとして、思い出さないでください。あなたのあわれみが、すみやかに、私たちを迎えますように。私たちは、ひどくおとしめられていますから。
psm79:9 私たちの救いの神よ。御名の栄光のために 、私たちを助けてください。御名のために、私たちを救い出し、私たちの罪をお赦しください。
psm79:10 なぜ、国々は、「彼らの神は どこにいるのか。」と言うのでしょう。あなたのしもべたちの、流された血の復讐が、私たちの目の前で、国々に思い知らされますように。
psm79:11 捕われ人のうめきが御前に届きますように。あなたの偉大な力によって、死に定められた人々を生きながらえさせてください。
psm79:12 主よ。あなたをそしった、そのそしりの七倍を、私たちの隣人ら の胸に返してください。
psm79:13 そうすれば、あなたの民、あなたの牧場の羊である私たちは、とこしえまでも、あなたに感謝し、代々限りなくあなたの誉れを語り告げましょう。
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おはようございます。
昨日は子供を寝かしてそのまま爆睡・・・。
いや~よく眠れました。感謝。
それでは、今日もダビデさんの賛美隊長アサフさんの詩篇を。
今日僕の心に留まったのはこんな言葉。
psm79:9 私たちの救いの神よ。御名の栄光のために 、私たちを助けてください。御名のために、私たちを救い出し、私たちの罪をお赦しください。
問題の最中、どうしたらいいのかも解らない状況が僕らにもある。
そんな中、僕らは何をするだろうか?
問題を確認し、どうしたらこの問題を解決できるかを分析し行動に移していく。
多分、ダビデさんもそのようにしただろうと思う。
でも、それでも、どうしようもない時はどうするのだろう?
アサフさんは神様に叫んだ。助けてくださ~い!って。
私たちの罪をお赦しください。 とも叫んだ。・・・何故だろう?
それには、こんな他の箇所が理解に役に立つかもしれない。
isa59:1 ★ 見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。
isa59:2 あなたがたの咎 が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切り となり、あなたがたの罪が御顔を隠させ 、聞いてくださらないようにしたのだ。
もしかして、神様と僕らの間に咎(罪)という仕切りがあるのなら
それが原因で僕らの生活が歪まされているのかも・・・?と考えたから。
何でこんな状況?
何が原因か?
って考えた事がある方は多いと思う。
でも、中々バイブルのこの箇所にたどり着く人は稀だもんね。
バイブルのいうこの咎(罪)の仕切りを僕は経験したことがある。
それは、モノを盗んだ時だった。
・・・僕は本当に酷い奴で、色んな理由を使って自己正当性を僕の心に言い聞かせてある物を盗んだ。
(後に誤って代金を支払い許して頂いたけれども・・・)
神様との断絶がこれほどのモノか・・・。と打ちのめされた。
本気で将来を台無しにしてしまい
親にも誰にもいえない状況で死のうとまで考えたけれども、
死んでもこの断絶から抜け出せないんだ・・・
そう理解して、許して貰う為に手紙を書いたのを思い出す。
神様との断絶。
それは、ホンマに体験しないのであればしない方がいいかも。
でも、それを知る事で、このアサフさんの叫びに繋がるのなら是非その真実を神様自身に教えて貰って下さい。
ごめんなさい。
そう云えば許される?
この解説が僕らの理解を支えてくれるかも。
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http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs79
「赦す」と訳されるカーファルכָּפַר(kaphar)の原義は、動物の身代わりによって人の罪を「贖う」という意味です。
カーファルכָּפַר(kaphar)は、罪を「覆う、贖う、赦す」という意味がありますが、新改訳ではカーファルを3回とも「罪を赦す」という意味で訳しています。
「咎が私を圧倒しています。しかし、あなたは、私たちのそむきの罪を赦してくださいます。」(65:3)
「しかし、あわれみ深い神は、彼らの咎を赦して、滅ぼさず、幾度も怒りを押え、憤りのすべてをかき立てられはしなかった。」(78:38)
「私たちの救いの神よ。・・・御名のために、私たちを救い出し、私たちの罪をお赦しください。」(79:9)
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「律法によれば、・・血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはありません。・・しかし、キリストは、ただ一度、・・ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。」(ヘブル9:22、26) だれひとりとしてキリストの血なしに神に近づくことも、神の破格の祝福を受けることもできないことを深く受けとめるべきです。
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僕らは 本当に ごめんなさい だけで 許される。
大丈夫。
そして、助けて~!って普通に叫ぼう。
人は助けてくれないかもしれない。もし、助けようとしても力が足りない事がある。
でも
僕らの神様は、ダビデさんと共に歩んだ神様は
僕らを助ける力と知恵に満ちている。
アサフさんのように叫んでみませんか?
大丈夫。
僕らがその事を理解する前から、僕らと神様はそんな関係なんだから。
では、今日も神様の備えられた素敵な一日。
隠された素敵を捜し数えながら、今日も一緒に出かけましょう~。