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【詩篇77篇】o19 指揮者のために。エドトンの調べによって。アサフの賛歌
psm77:1 私は神に向かい声をあげて、叫ぶ。私が神に向かって声をあげると、神は聞かれる 。
psm77:2 苦難の日に、私は主を尋ね求め、夜には、たゆむことなく手を差し伸ばしたが、私のたましいは慰めを拒んだ。
psm77:3 私は神を思い起こして嘆き、思いを潜めて、私の霊は衰え果てる。セラ
psm77:4 あなたは、私のまぶたを閉じさせない。私の心は乱れて、もの言うこともできない。
psm77:5 私は、昔の日々、遠い昔の年々を思い返した。
psm77:6 夜には私の歌を思い起こし、自分の心と語り合い、私のたましいは問いかける。
psm77:7 「主は、いつまでも拒まれるのだろうか。もう決して愛してくださらないのだろうか。
psm77:8 主の恵みは、永久に絶たれたのだろうか。約束は、代々に至るまで、果たされないのだろうか。
psm77:9 神は、いつくしみを忘れたのだろうか。もしや、怒ってあわれみを閉じてしまわれたのだろうか。」セラ
psm77:10 そのとき私は言った。「私の弱いのはいと高き方の右の手が変わったことによる。」
psm77:11 私は、主のみわざを思い起こそう。まことに、昔からのあなたの奇しいわざを思い起こそう。
psm77:12 私は、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたのみわざを、静かに考えよう。
psm77:13 神よ。あなたの道は聖です。神のように大いなる神が、ほかにありましょうか。
psm77:14 あなたは奇しいわざを行なわれる神、国々の民の中に御力を現わされる方です。
psm77:15 あなたは御腕をもって 、ご自分の民、ヤコブとヨセフの子らを贖われました。セラ
psm77:16 神よ。水はあなたを見たのです。水はあなたを見て、わななきました。わたつみもまた、震え上がりました。
psm77:17 雲は水を注ぎ出し、雷雲は雷をとどろかし、あなたの矢もまた、ひらめき飛びました。
psm77:18 あなたの雷の声は、いくさ車のように鳴り、いなずまは世界を照らし、地は震え、揺れ動きました。
psm77:19 あなたの道は海の中にあり、あなたの小道は大水の中にありました。それで、あなたの足跡を見た者はありません。
psm77:20 あなたの道は海の中にあり、あなたの小道は大水の中にありました。それで、あなたの足跡を見た者はありません。
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おはようござます。
日曜日僕の友人から、仕事において心に圧迫を感じたりすると相談がありました。
僕もそんな経験は凄くしてきたけれども、中々その説明をするのは難しいね。
しっかり祈らなくちゃって感じです。
では今日もダビデさんの賛美隊長アサフさんの詩篇を。
僕の心に留まったのはこんな言葉。
私は神に向かい声をあげて、叫ぶ。私が神に向かって声をあげると、神は聞かれる 。
そして
psm77:11 私は、主のみわざを思い起こそう。まことに、昔からのあなたの奇しいわざを思い起こそう。
psm77:12 私は、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたのみわざを、静かに考えよう。
そして
psm77:15 あなたは御腕をもって 、ご自分の民、ヤコブとヨセフの子らを贖われました。セラ
問題は次から次へと僕らに迫ってくるように感じることはある。
実際に起きてくる方も多いですよね。
詩篇が語ってるのは、問題の最中でもいつも 神は聞かれる 。 事だ。
ただ、僕らはそうは云っても「 ホンマ?? 」っていう思いに駆られる。
だって、神様の解決は肉体において制限されている僕らは、「今」という時しか感じることが出来ないからだ。
でも、神様は大丈夫。 神は聞かれる 。 のであるmm。
ん・・・。。
どうしたら。。ええんかいね~って処。
神様の「約束」を信じるよりも
サタンのみせる「現状」というものを僕らは選び、心折れてしまうことが多い。
だから、こんな事を云ってるのかもよ。
psm77:11 私は、主のみわざを思い起こそう。まことに、昔からのあなたの奇しいわざを思い起こそう。
psm77:12 私は、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたのみわざを、静かに考えよう。
神様の約束を選ぶ為には、言葉を発する事が役に立つのかも。
そして、その前に、僕らの身体に真実を思い起こさせて挙げる方法は凄く役に立ちそうだ。
賛美隊長のアサフさんは思い起こそう・・静かに考えようと
僕らの魂に与えられた情況での約束を真実を体感させようとしているように思える。
そして最後にこんな言葉。
psm77:15 あなたは御腕をもって 、ご自分の民、ヤコブとヨセフの子らを贖われました。セラ
贖われるって事。
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http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs77%283%29
「贖う」ガーアルגָּאַלには、「買い戻す」という意味と、そこから派生して、奴隷から、死から、敵から「救い出す」という意味があります。買い戻すために身受けするということは、ある種の束縛、あるいは捕われの状態が前提となっており、その状態からの解放がまさに「贖う」いうことです。これは、やがては神の子イエス・キリストによって「罪からの救い」、「律法からの救い」「霊的な死からの救い」を意味する「贖い」へと展開していきます。買い戻すために払われる代価は、キリストご自身の血(命)でした。
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要は
神様にとって僕らは大切な大切な存在だって事。
大好きで大好きで堪らない僕らが、
サタンのみせる「現実」って映像に希望を失って欲しくないと思っておられる。
僕らはそんな中で、何を選び どう行動していきますか?
賛美隊長と共に静かに考える事が出来たらいいですね。
最後にこんなモーセが民に言った言葉を。
「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人を永久に見ることはできない。主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」
問題解決は神様がされる事。
僕らの力は不要だ。それは僕、神自身があなたにする事を知る為だ。なんて声が聞こえてきそう。
さあ、
今日も神様が創られた素敵な一日。
隠された素敵を捜しに今日も一緒に出かけましょうね。