おはようございます。連休中ですが、如何お過ごしですか?
僕は教会で礼拝中。。
隣りには、先週初めて来られた方が約束通り礼拝にこられている。
初めての礼拝は、こんなバイブルの言葉から。
あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。
ローマ 12.2
如何に生きる、真に生きるために。
なんて事が、今日のテーマ。
まず、人間とはどんなもんやという事を知るべきだとして、こんな言葉を引用された。
先ずはココ
ゆえに、神は、彼らが心の欲情にかられ、自分のからだを互にはずかしめて、汚すままに任せられた。
ローマ 1.24
そしてココ。
それゆえ、神は彼らを恥ずべき情欲に任せられた。すなわち、彼らの中の女は、その自然の関係を不自然なものに代え、
男もまた同じように女との自然の関係を捨てて、互にその情欲の炎を燃やし、男は男に対して恥ずべきことをなし、そしてその乱行の当然の報いを、身に受けたのである。
ローマ 1.26 27
こんなトコまで。
すなわち、彼らは、あらゆる不義と悪と貪欲と悪意とにあふれ、ねたみと殺意と争いと詐欺と悪念とに満ち、また、ざん言する者、
そしる者、神を憎む者、不遜な者、高慢な者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者となり、
無知、不誠実、無情、無慈悲な者となっている。
ローマ1.28 ~ 30
神という存在を知る事は?
もう既に弁解の余地のないほど知らされているとされている。
神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。
ローマ 1.20
僕らは何を選び、信じて歩んでいくのか?しっかりと考えなければならない。
神がいる事を信じない事を何も信じてないと思っているけれども、実は、そんな神はいないという事を選びそれを信じているという事を知らなければならない。
僕らはいつもどちらかを信じて歩んでいる。
神様は僕らに関心をもって、いつも絶えず見守り導いて下さろうとしている。
わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。 主の御告げ
それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えられるためのものだ。
エレミヤ 29.11
僕らは今まで信じて来たように偶然に生まれて来て、偶然に生きているのだろうか?
バイブルでは、そのような事は記載されていない。
そこには、神の愛にまみえる事が約束されている神の言葉があふれている。
どこまでもサタンのズレた思いの中で犯し続けた悪い行為。またその思い。そんな罪と表現される事により、さいなまされる事はない。
それは、すでに僕達を愛してその罪の罰を精算されたジーザスの死によって解決されているものだからだ。
さぁ!
今週は何を信じて過ごしましょうか。
僕らに関心をもちいつも傍で愛されている方が居られるんだったら、その事を信じて見るのも悪くない。
大丈夫。
僕らの傍にはいつもジーザス。
感謝。
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