いつもお越しくださって本当にありがとうございます。
それじゃ。今日はこんな曲から。
Iggy Pop - Lust For Life
http://www.youtube.com/watch?v=jQvUBf5l7Vw&feature=SeriesPlayList&p=298C2244A6F86DCC&index=7
僕等が、生きていて 「平安」 が欲しいと感じるとき、
当然、不安の最中にあることを知る。
何故不安なのか?
安心のバランスが崩れ、心が乱れていくから。
そんな時、
僕等の選択はふたつ。
ひとつは、探し 与えられるまで求めていく
もうひとつは、逃避
僕等には、今 手に入れることが必要なもの以外に代用品はいくつでもある。
自分を見つめなおし、何が悪いか方向修正する必要もない。
本当に そんな必要なんてないのかもしれない。
でも
それは、僕等の本心だろうか?
そこには妥協を心の奥に押し込めた自分をみる。
僕は、逃げ続けた。
自分自身の弱さに、やけくそ交じりの過ちに。
何故か そんな事を考えた時、
受け入れ認めるという偉そうな作業で、平安が得られるとは絶対に思えなかったなって。
真面目に生きるって、何の意味もないと信じきろうとしてたからね。
バイブルにはこんな言葉がある。
isa:59: 2
あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。
今は言える。 ホンマにそうやと。
僕は、小さなズレが、僕等をだんだんと本来生きる平安から遠ざけてしまったんやと。
でも、、だからって
僕等はアカン人間じゃない。
何故か?
rom: 6:16
あなたがたはこのことを知らないのですか。あなたがたが自分の身をささげて奴隷として服従すれば、その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至るのです。
ここでは、
罪の奴隷・従順の奴隷とふたつが対比されている。
奴隷とは、声に聞き従う人のことをいっているが、
罪とはサタン・従順とはジーザスのことを示している
そう。 僕が気づいて欲しい事は
あなた自身がその考えを生み出し、実行したのではないという事。
ただ、従っただけ。。
勿論、その声に従ってズレたのは、僕等の選択。
蒔いた種は刈り取ることになるが、僕等はそのままサタンと共に沈んでいくだけの存在ではない。
サタンは、僕等にささやいていつも永遠の死に導こうとする存在。
サタンは そんな奴。 もうだまされる必要はない。
そして
僕等は、心に平安をいっぱいにして生きることが出来る。
ひとつの意識して選択するその一歩が。。
gal: 5: 1
キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。
gal: 5:13
兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。
僕等はサタンに縛られて生き続ける必要はない。
僕等には、ジーザスによって本当の自由が用意されている。
大丈夫。
僕が今ここにいてるのは、ジーザスが本当に生きて支えてくれた証。
頭の隅にこんな人間が居るって事を憶えてくれれば感謝です。
最後にこんな曲
Elvis Presley - Amazing Grace
http://www.youtube.com/watch?v=B3XdXEJEI4E&feature=related
大丈夫。 僕等の傍にはいつもジーザス。
感謝。
少し休みます。そんじゃ。