今日はこんな曲から
なんか好きなんっすよね。。。
Sarah McLachlan - Answer (Live)
http://www.youtube.com/watch?v=QoOXtzrc20U&feature=related
和訳が気になるけど、見つけられませんでした。また、探しておきますね。
素敵な歌声ですよね~。
ところで、この間の話の続き。。
http://ameblo.jp/simonmonmon/entry-10293552587.html
「勇気」
この勇気って、改めてみるとどういう意味を持つ言葉なんだろうと思わされた。
ウィキペディアでは、
「普通の人が、恐怖、不安、躊躇、あるいは恥ずかしいなどと感じる事を恐れずに(自分の信念を貫き)向かっていく積極的で強い心意気の事。勇ましい強い心をいう。」
と記されている。
僕は、ふと「鬱」の病と共に歩んでいる「歩こう」の作詞者の心境を考えてみた。
「鬱」と診断される前に、散々恐怖・不安を恐れずにTRYして、失望してきたんだと思うんだけど。
そこから考えれば、本当に勇気って「賭け」だよな~と思うし、得られなかった場合は圧倒的な失望を受け「引きこもる」って状況にも成り得る。
この方のいうところの 「勇気」 は、
ウィキペディアでも「普通の人」としているが・・・そのものとは大いに違うよね。
きっと。
ところが、同じ「鬱」の作曲者に聞いてみれば、
「勇気」 とは 「祈り」。
勇気なんて元から自分の中には無いという事だったが。
そういえば、「祈り」っていうのは、恐怖、不安、躊躇、あるいは恥ずかしいなどと感じる事を恐れずに(自分の信念を貫き)向かっていく積極的で強い心意気が詰まっているようにも思った。
祈りって、今の現状から見る事の出来ないモノを、ジーザスの視点からだったら見えるに違いないと思えるものを願うものでもあるしね。
って事は。
ジーザスを受け入れている人と、まだ受け入れてない人とではまるっきり「勇気」の解釈が異なってくるのかもしれないんだと思わされた。
その大きな理由は 「保障(サポート)」ではないだろうか。
これは、傍に誰かが居るという安心感が「勇気」を生み出すように思えたから。
勿論、傍に居て安心感を与えるのはジーザスだけではないけどね。
でも、ジーザスは僕らの心に居ている。(誰よりも近い存在かな)
そして、僕らの祈りに答えたいと耳を傾けてくれている。
後は心の戸を開けるか 開けないかだけの選択だけ。
《 バイブル 》rev: 3:20
見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。
僕は、いつも自分自身の中の「臆病」な場所に閉じこもりがちなんだけど・・・。
なんだろね。
僕らの傍にはいつもジーザスが居るというのに・・・。
きっと大丈夫。 小さな勇気で明日はもう一歩。
そんな事で、最後にこんな曲。
Only Truth-Acapella
http://www.youtube.com/watch?v=JrB8U2yfUAA
おやすみなさい。