そもそもどうしてネットサーフィンでシルヴィ・ギエムさんにたどり着いたのか。
たまたまつけっぱなしにしていたテレビで放送していたドイツのバレエダンサー兼コンテンポラリーダンスの振付家であるピナ・バウシュさんのドキュメンタリー番組がきっかけでした。
演劇的手法を取り入れたピナさん独自の舞踊芸術は、演劇とダンスの融合とも言われており、今日までに演劇やダンスに携わる多くの人々を、戸惑いと同時に魅了してきました。
番組ではピナさんの公演を通じて大きく影響を受けたという女優の夏木マリさんをナビゲーターに迎えて、2009年になくなられたピナさんの生地や活動の拠点となったブッパダールに赴き、作品の一部を織り交ぜながら、その独特な創作方法などが紹介されていました。
昨年、彼女の死により制作が中断されていたドキュメンタリー映画『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』が公開されたことは知っていました。観たいと思いつつ、とうとう行かず終いでいたものですから、迷う余地なく私はそのままテレビの前に居座り、そしてその中の「春の祭典」に釘付けとなったのです。
感情的な訴えと、冷静に観たときのダンサー一人一人の身体能力や精神成熟度の高さとで、私は一言では言えない衝撃を覚えました。
振り付けは、振り付けであってそうではないとでもいいましょうか。ダンサーたちの身体の一部であり、言語のようにも感じます。
ピナさんのベースにあるクラシックバレエでは、通常、コールドバレエ(群舞)は一糸乱れぬパフォーマンスを美しいとしますが、同じ群舞でもこちらはまったく勝手が違います。通常の辞書に載っている「美」については重きを置いていません。これを踊りと言えばいいのか、演劇と言えばいいのか、結局のところ「THIS is it」としかいいようのないような。
興味があったのは、観ていてなかなか感情移入できなかったことです。
ダンサーから観ている景色が今どのような世界であるのか、想像もつかなかったのです。
普段なら踊りを観ていると観る側ではなく、観られる側に立ってそのダンサーが今どんな気持ちでいるのか、どこにアクセントを置きたいのか、何となく感じ取れるのですが、ピナさんの演出ではもうダンサーのどの一人にフォーカスしても、皆さんが主役なので、同じ空間でそのエネルギーがぶつかり合っていて、こちらが追いつきません。ずいぶん混乱してしまいました。
ピナさんが亡くなられて本当に残念です。もっとたくさんの作品を観てみたいです。
ですが、彼女を師事した彼女の信念を受け継ぐ振付家はまだ走り続けています。
せっかく研ぎすまされたある表現の形、新しく生まれた身体言語、何百年も途絶える事なく、進化を続けて欲しい。心からそう思いました。
そしてまずは、見逃してしまったこのドキュメンタリー映画を観なくては・・・
ドキュメンタリー映画『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』
彼女の番組を見終わった私は、俄然、踊りに対する欲がメラメラわいてきてしまい、そのままPCへ。かくして私の原点であるシルヴィ・ギエムさんにたどり着いたというわけです。
ちなみに「春の祭典」と言えば、ストラヴィンスキー作曲のバレエ音楽です。
フランスの振付家モーリス・ベジャールは、先の日記にも載せた「ボレロ」とともに「春の祭典」の振り付けも手がけています。
ベジャール版の「春の祭典」は、件のギエムさんの来日公演で東京バレエ団が踊っていたのを実際に観た事があります。群舞ならではの迫力せまる振り付けに感動したのを覚えています。