たまたまネットサーフィンしていたら
シルヴィ・ギエムさんのボレロにたどり着きました。
映画「愛と哀しみのボレロ」でジョルジュ・ドンさんが踊る
ボレロも好きで、VHSを買って何度も何度も踊りのシーンばかりを
繰り返し観ていましたが、やはりボレロと言えば、
私にとってはギエムさんです。
今まではどんなに検索をかけても、
その一部始終を観る事が叶わなかったので嬉しいです。
こちらは振付家モーリス・ベジャールさんの追悼公演の映像でしょうか?
私が中学生の頃に観た公演では、彼女の髪はワインレッドでした。
まるで髪の先まで踊っているようで、
時として燃えているようにさえ見えました。
映像ではなく、
彼女と同じ空間に共存できたこと、
同じ時代に生きていること。
自分は何てラッキーなのだろうと思います。
彼女に頂いたサイン入りのパンフレットはいまでも宝物です。
バレエ界はこう言いました。
100年に一人のプリマだと。
写真家篠山紀信さんは仰いました。
他の誰とも比べ難い。比較の対象がいない。
なぜなら彼女自身がメディアであるのだからと。
酷評家で知られる
元パリ・オペラ座バレエ学校校長クロード・ベッシーさん、
東京バレエ団の芸術監督を務めた溝下司郎さん、
世界の名だたる一流人を相手としているすべての関係者が、
シルヴィ・ギエムさんに魅せられ、彼女は別格であると口をそろえます。
あるインタビューでリポーターから世界一美しい足の甲を
賞賛された直後に彼女はこう答えました。
一番大切なものは足(甲)ではなく、
スタイルや顔でもなく、テクニックでもない。
それらをコントロールする頭(CPU)なのだと。
その後にこう続けました。
私がバレエを選んだのではなく、バレエが私を選んだ。
節度を大切とする古典バレエで180度足を上げるなど、
バレエ界に様々な変革を起こした彼女が残した軌跡は、
今や現代のバレリーナの卵たちの目標となっています。
彼女を観ていて思うことは、
彼女にとってもうバレエはバレエではないのだということです。
感情表現のツールのひとつ、感覚器官のようなものなのでしょうね。
彼女はコンテンポラリーダンスの世界でも
170センチを超えるダイナミックな肢体を活かして
人々を魅了してきました。
現代ではそう珍しいことでもないですし、
むしろ世界各国のバレエ学校では
クラシックバレエとコンテンポラリーダンスは
どちらも必修クラスになっていますが、
当時、シルヴィ・ギエムさんのように
その両方をこなすダンサーは稀でした。
私はモダンバレエを8年間習っていました。
(所詮趣味の領域なので、経験者とまでは言いませんが、)
当時誰もが習いたがったおケイコごと、クラシックバレエではなく、
なぜトウシューズを履かずに裸足で踊るモダンバレエを選んだのか?
今改めて思えば、型にはまったクラシックよりもモダンの方が
表現の創作性があると思ったからなのだと思います。
クラシック、モダン、コンテンポラリー、ジャズ、ヒップホップ、
ラテン、ハウス、カポエラ、ブレイク、レゲエ、ロッキング、
その他様々な民族舞踊。
世界には様々な踊りの様式やジャンルや音楽がありますが、
現在ではその隔たりはどんどんなくなってきているような気がします。
しかし、根底にあるのは感情表現です。
テクニックを凌駕した感情表現の世界。
踊りの本質とはそれにつきると私は思っています。
(だから8年続けていても一度も生涯を踊りで生きようと思いませんでした。
テクニックを凌駕するなんて並大抵ではありません。
当時から何分、意志薄弱で、ヘタレだったのです。笑)
話をギエムさんに戻します。
彼女のコンテンポラリーで、
スモークやシシィといった演目も好きですが、
一番好きなのはこちらの「In the middle somewhat elevated」です。
「上昇」という邦題の振付家ウィリアム・フォーサイスさんの有名作品です。
群舞も見所ではあるのですが、こちらはペアだけの抜粋のようですね。
音楽も振り付けもパフォーマンスとして最高にクールですよね。
当時中学生だった私も度肝を抜かれました。
だから思わず身体がうずくのを止められないのですが、
非常に技術的に要求度が高くてまずついていく事は不可能でした。
たとえプロ級のダンサーを以てしても、精神が伴っていなければ
振り付けに振り回されてしまうほどです。
以前、ローザンヌ国際バレエコンクールで同作を踊った男性が、
テクニックの一人歩きだと酷評を受けていました。
バレエから離れて十年以上経つのに、踊りのこととなると
たちまち当時に引き戻されるような感覚があります。
血が騒いで、パフォーマーに自分の感情をのせてしまいます。
見えるのです。
床に落ちた汗だったり、稽古場の独特な臭いだったり、
裸足でターンするときの足の裏を焼く温度だったり、
雑音混じりのレコードだったり。
教室のバーでストレッチしながら眺める
リハーサル風景、ソリストたちの背中だったり。
それらが背景にあって、今目の前で賞賛を浴びている
至極のパフォーマンスがあるのだと。
いつか私に娘ができて、少しでもダンスに興味を持ってくれたら
手をひき連れていきたいです。
レッスン教室でも、一流のダンサーの公演でも。
肉体は伴っていませんが、私もまたギエムさんの言葉を借りれば
「エヴィダンシア」という言葉が当てはまるのかもしれません。
(証明とダンスから成るギエムさんの造語です。)
何か物を考えるときのふとした仕草から始まる振り付けだったり
すれ違う街の人々を突然踊らせるミュージカルのような空想だったり
精神統一するときの呼吸法や丹田(下腹部)を意識する感覚や
人と待ち合わせている時の足の重心のかけかた、骨盤のポジション、
それくらいあらゆる日常でダンスを身近に感じています。
なんて格好つけ過ぎですね(笑)
「ダンス」と「動き」は人生そのもの、私の人生を表現する言葉
- それが私の存在証明。