「あ。」
会社の帰り路。
同じ車両に乗り合わせたサラリーマンの中に、
昔私がよく知っていたのと同じ背中をみつけた。
ちがうかな。
でも似てるんだよな。
斜め後ろ45度から眺めた耳たぶの後ろ側が。
頬の輪郭が。
首の太さが。
少し長めの襟足が。
例えば仮にそうだったとして。
なんて声をかけようか。
よっ。元気?久しぶり。
と掌を挙げればいいかな。
うふふ。
懐かしい日々を辿りながら容疑者のパーツを切り取って、
ひとつずつ丁寧に確認作業。
身長。
拳の大きさ。
ビジネスバッグ。
シャツのカラー。
腕時計。
すべて裏切られた挙句に最後に決定打。
停車駅を確認する際に文庫本から目を離してあげたその顔は全くの別人だった。
それもそうよね。
一緒に暮らした街とは離れた場所に住んでいるのだから。
こんなところにいるわけない。
それに今頃、家で子ども達をお風呂に入れているに違いないもの。
思い出の世界から程なく戻り、期待をまたひとつずつ解いていく。
腕時計は右手主義なのに左手にしているし、
お気に入りだったオメガのスピードマスターでもない。
シャツのカラーに芯を通しているはずなのにそうでないし、
カバンだってお姉さんからもらって大切にしていたTUMIじゃない。
見過ごした事実に次々と気付く。
だけど、やっぱりわたしはまだうふふの気持ちのままから覚めなかった。
別れてから七年も経つのに、期待なんておかしいね。
ずっと前に好きだった人。
今でもたまに連絡がくる。
私の幸せを切に祈ってくれる人。
でも幸せにはしてくれなかった人。
嘘です。
あなたがいたから、私はいま笑っていて、変わらず幸せを噛み締めることができるのです。
ありがとう。