パウロはガラテヤ人への手紙5章の14節で上記のように述べました。

パウロはキリストから選ばれた正式の使徒です。したがってこの教えはご存じのとおりキリストご自身も語られた教えです。

では、なぜ神は人にできないことを命じられたのでしょうか?

律法は613あり罪を指摘するためのもので、キリストに導く養育係だったとパウロは手紙に書いています。

しかし、この律法を行うことは人間にはできませんでした。

ただ、キリストだけが行うことができたのは、周知のことです。

信仰とはキリストに聞き従うことですが、標題にある命令に従える人はいません。


 

あなたにもわたしにもです。

しかし、キリストの愛の律法を行えないままでいいのでしょうか?

いつまでたっても、変わらないのはどうしたことでしょう。

いつまでも、ただ「そうしていきましょう」ということばが好きなあなたたち。


 

そう言ってくれるところに集まるあなたたち。

お互いの駄目さを慰めあってどうするのですか?

事実こうした話をする神の導きからはあなたがたは遠ざかっていきます。


 

それは、次に述べる預言の成就なのです。

「自分の気に入ったことを言ってくれる教師のところに集まって

戒めてくださる神の教えからは遠ざかる」という預言です。


 

御霊を毎日求める

御霊を求めることです。

御霊によって愛によって行う信仰による行いこそが重要なのです。

御霊は毎日、祈りをするたびに求めていきましょう。

こうして教えていただいたのなら、神に感謝しましょう。