イエスさまを信じたとして、あなたのどこが変化したのですか?

 

聖化はありますか?

 

神は成長させてくださいましたか?

 

そんなことがあるとしたら、ごくわずかなケースでしょう。

 

イスラエルの人たちもどんなに数が多くても、救われるのは残りの者たちだけです。

 

ノアの時代に洪水から逃れ、救われたのは8人だけです。動物たちも救われましたね。

 

その時代の残りのひとたち、すなわち、悔い改めない罪人と悪人は全員滅ぼされました。

 

エジプトから救いだされた人々のうち、20歳以上の人たちはヨセフとカレブを除いてみな荒野で屍をさらしました。それをパウロは彼らの不信仰のためだと証ししています。

 

神の全能の力をもってしても、ごくわずかな人たちしか救えないのはなぜですか?

 

それは、信仰がカギなのです。

 

なぜ、イエスさまは、「主よ、主よ。」という人たちを救えないのですか?

 

救うために来られたのではありませんか?

 

全世界の罪のために死なれたのではないですか?

 

これらのケースから、人間の救いに関する勘違いは明白です。

 

救われない人たちは、結局のところイエスさまに従わなかったのです。

 

「信じてます。愛しています。」と言うだけでは、救いはありません。

 

イエスさまも言われませんでしたか?

 

「なぜ、わたしに従わないのか」と。

 

信仰とはこういうものです。

 

神は人を聖化で変化させないのです。

 

人間の信仰の決意と努力がなければ、救わないのです。

 

狭い門を通って努力しなければ、救いはない。

 

これこそ、真理です。

 

キリスト教世界で教えていることは、「信じました」よかったですね。で終わりです。

 

随分簡単ですね。しかし

 

賢明な人なら、もうこの嘘に気付かれたでしょう。

 

 

 

今日も救いのメッセージどうもありがとうございます。

 

主よ、感謝いたします。

 

ハレルヤ、アーメン