青空にいくつかの雲が浮かび、青に映える白、白によって際立つ青を見上げながら、主人公は言問橋で在原業平の和歌を口ずさむ。
「名にし負はば いざ言問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしや」
観光客でにぎわう浅草寺や浅草神社ではなく、物語の舞台となる浅草花やしきには、東京でありながらどこか時間がゆっくり流れているような空気がある。
239ページ、ふと目に留まった小さな表札、
「喫茶シガミヨ」。
行き当たりばったりで歩いてたどり着いたその店だったが、実は偶然ではなかった。かつて祖父と一緒に訪れたことのある場所だったのだ。
主人公・西沢智太が吸い込まれるように店へ入っていく場面から、私も一気に物語の世界へ引き込まれた。
時が流れても変わらないものがある。
空気の匂い、食べ物の味、機械の音、ローラーコースターの手すりの触感、見える景色等々、時が経ってもずっと変わらない。
あってもよいと思います。
思い出の場所は、家族やそこに関わった人々の記憶とともに、ずっとそこにあってほしいと思う。
286ページの一節が印象に残った。
「六十年後も、花やしきはあってほしい。日本現存最古のローラーコースターは、そのときも日本現存最古であってほしい。
まあ、だいじょうぶだろう。
何せ、花やしきはペリーが来たときからあるのだから。
この先誰が来たって、ここ浅草にありつづけるはずだ。」
「未来じゃないよ。明日を見な。」
智太がコピー大賞を受賞した言葉も心に残った。
「おれって、本当は何がしたかったんだっけ?」
自分自身と向き合うなかで、智太は花やしきで働きながら、本当にやりたいこと、自分が目指す人生を見つけていく。
下町情緒と人情にあふれた物語で、読後は心がじんわりと温かくなった。
過去を懐かしむだけではなく、「明日をどう生きるか」を問いかけてくる一冊だった。感動した。
■著者紹介
小野寺史宜さん
1968年、千葉県生まれ。2006年、『裏へ走り蹴り込め』で第86回オール讀物新人賞を受賞しデビュー。2008年『ROCKER』で第3回ポプラ社小説大賞優秀賞を受賞。2019年刊行の『ひと』が本屋大賞第2位となり、ベストセラーとなった。
