長野県南部、伊那市高遠町の高遠城址公園で、タカトオコヒガンザクラが3日、満開となったそうです。
園内には約1500本のタカトオコヒガンザクラが植えられていて、その規模や濃いめのピンクの花の美しさから「天下第一の桜」と呼ばれています。
その昔に中央道を仕事で走っていた時などは、季節になると伊那ICから降りる車が渋滞していたもんですわ。
当然、天竜川右岸の中央道から川を越えて左岸の高遠まで渋滞が凄かったです。






そんな週末ですが、松の地元界隈の飯田下伊那地方はボツボツ見頃も過ぎて来ています。
次の降雨でいいとこ終わりですかね。

画像は地元の和田地区の高台にある「薬師様の桜」です。
見ての通り、木の下に薬師堂や集会所がありますのでそう呼ばれています。

和田街を一望
樹種は勿論エドヒガン、樹齢はどんくらいでしょうかね。
少なくとも堤防沿いの遠山桜よりは古いです

樹間から対岸の道の駅も見えます。
ということは道の駅からも、この一本桜が見えるということですね。
実はこの薬師様の桜は昔は右側に大きさ同じくらいのコヒガンザクラも植わってまして、紅白の見事な景観でした。
でも少し樹勢が弱まってきたことと、下に民家があったので危険ということで伐採されたんですよね。
今でも二本咲いていたら壮観だったと思います。
どうかな、30年前くらいだったかや切ったの・・・
*******
因みにですね、先だって拙ブログで「長姫のエドヒガン」を始め、飯田下伊那地方には一本桜の銘木が数あると書きました。
本日の南信州新聞紙上に、そのエドヒガンについての記事がありましたのでちょっと紹介してみたいと思います。
桜道楽55年の「夢噺(ゆめばなし)」
飯田下伊那地方にエドヒガンザクラが多いのはなぜかー。
私は55年来、この疑問を抱きながら暮らしてきました。
考えてみると、そこにはいくつかの理由が重なっているように思えます。
まず地形的に見て、この地方はエドヒガンに向いているのでしょう。
海岸から遠く、塩害を受けにくい。しかも東西を山に囲まれ、強風にさらされにくい。
こうした条件は、まさにエドヒガンの宝庫といわれるゆえんです。
さらに、木としての性質も関係していると思います。
エドヒガンは材がもろく、木材としての利用価値は高くありません。
その反面、ヤマザクラは材が堅く、床柱や上がり框(かまち)などに使われてきました。
私の家でも床柱に使っています。
薪炭としても桜炭は火持ちが良く、茶道では今も人気があります。
つまり、ヤマザクラは人の暮らしの中で切って使われる機会が多く、人里近くの古木は残りにくかったのでしょう。
その点、エドヒガンは利用材としての価値が低かった分、かえって大木として生き残ったとも考えられます。
長野県には県や市町村指定の天然記念物の桜が約350本以上あるとされますが、その大半がエドヒガン系です。
福島や奈良にも名桜は多いものの、長野県は群を抜いているといわれます。
もう一つ大事な要素があります。
私はそれを「信仰と桜」だと思っています。
伊那谷は天竜川に注ぐ多くの小河川が谷をつくり、その谷ごとに人が住み、農耕や林業を営んできました。
そうした集落には、必ずといってよいほど神社や寺があり、人々の信仰を集めてきました。
そして、そうした神社仏閣には桜が植えられていることが多いのです。
ー以下、略。ー
南信州新聞紙上から抜粋
利用材としての価値が低かった分、生き残ったというのが面白いですね。
なるほど・・・という感じがします。
*******
因みにですね。
昨日はタコ喰らったので、雨降る前に再度渓に出撃してみました。
9時から10時までやって結果は2匹


水具合はいい感じなんですがね
まあ、タコでないだけ良かったかや。
でもですね、ここぞという場所に限ってアタリが遠く「なんでかや~」という感じだったんですが、
10時近くなりそろそろ納竿しようとして、視線を上流に移したところ、な~んか黒い鳥が飛び立ったような気が・・・
「気のせいか。」
その後、納竿して仕掛けを巻いている時に下流に向かって飛行する黒い敵機。
「やっぱ、気のせいじゃなかったか
」
そうしてよくよく見ると、この前まではなかった大石の上に白いフンがあります。
増水に乗じて奴らも狩りに来たみたいです。
先行者ならぬ、先行鳥・・・ってか。
小沢聡くんの先行する「カモ」も困るけど、この敵機はほんと困ったものです。
園内には約1500本のタカトオコヒガンザクラが植えられていて、その規模や濃いめのピンクの花の美しさから「天下第一の桜」と呼ばれています。
その昔に中央道を仕事で走っていた時などは、季節になると伊那ICから降りる車が渋滞していたもんですわ。
当然、天竜川右岸の中央道から川を越えて左岸の高遠まで渋滞が凄かったです。
そんな週末ですが、松の地元界隈の飯田下伊那地方はボツボツ見頃も過ぎて来ています。
次の降雨でいいとこ終わりですかね。

画像は地元の和田地区の高台にある「薬師様の桜」です。
見ての通り、木の下に薬師堂や集会所がありますのでそう呼ばれています。

和田街を一望
樹種は勿論エドヒガン、樹齢はどんくらいでしょうかね。
少なくとも堤防沿いの遠山桜よりは古いです

樹間から対岸の道の駅も見えます。
ということは道の駅からも、この一本桜が見えるということですね。
実はこの薬師様の桜は昔は右側に大きさ同じくらいのコヒガンザクラも植わってまして、紅白の見事な景観でした。
でも少し樹勢が弱まってきたことと、下に民家があったので危険ということで伐採されたんですよね。
今でも二本咲いていたら壮観だったと思います。
どうかな、30年前くらいだったかや切ったの・・・
*******
因みにですね、先だって拙ブログで「長姫のエドヒガン」を始め、飯田下伊那地方には一本桜の銘木が数あると書きました。
本日の南信州新聞紙上に、そのエドヒガンについての記事がありましたのでちょっと紹介してみたいと思います。
桜道楽55年の「夢噺(ゆめばなし)」
飯田下伊那地方にエドヒガンザクラが多いのはなぜかー。
私は55年来、この疑問を抱きながら暮らしてきました。
考えてみると、そこにはいくつかの理由が重なっているように思えます。
まず地形的に見て、この地方はエドヒガンに向いているのでしょう。
海岸から遠く、塩害を受けにくい。しかも東西を山に囲まれ、強風にさらされにくい。
こうした条件は、まさにエドヒガンの宝庫といわれるゆえんです。
さらに、木としての性質も関係していると思います。
エドヒガンは材がもろく、木材としての利用価値は高くありません。
その反面、ヤマザクラは材が堅く、床柱や上がり框(かまち)などに使われてきました。
私の家でも床柱に使っています。
薪炭としても桜炭は火持ちが良く、茶道では今も人気があります。
つまり、ヤマザクラは人の暮らしの中で切って使われる機会が多く、人里近くの古木は残りにくかったのでしょう。
その点、エドヒガンは利用材としての価値が低かった分、かえって大木として生き残ったとも考えられます。
長野県には県や市町村指定の天然記念物の桜が約350本以上あるとされますが、その大半がエドヒガン系です。
福島や奈良にも名桜は多いものの、長野県は群を抜いているといわれます。
もう一つ大事な要素があります。
私はそれを「信仰と桜」だと思っています。
伊那谷は天竜川に注ぐ多くの小河川が谷をつくり、その谷ごとに人が住み、農耕や林業を営んできました。
そうした集落には、必ずといってよいほど神社や寺があり、人々の信仰を集めてきました。
そして、そうした神社仏閣には桜が植えられていることが多いのです。
ー以下、略。ー
南信州新聞紙上から抜粋
利用材としての価値が低かった分、生き残ったというのが面白いですね。
なるほど・・・という感じがします。
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因みにですね。
昨日はタコ喰らったので、雨降る前に再度渓に出撃してみました。
9時から10時までやって結果は2匹


水具合はいい感じなんですがね
まあ、タコでないだけ良かったかや。
でもですね、ここぞという場所に限ってアタリが遠く「なんでかや~」という感じだったんですが、
10時近くなりそろそろ納竿しようとして、視線を上流に移したところ、な~んか黒い鳥が飛び立ったような気が・・・
「気のせいか。」
その後、納竿して仕掛けを巻いている時に下流に向かって飛行する黒い敵機。
「やっぱ、気のせいじゃなかったか
そうしてよくよく見ると、この前まではなかった大石の上に白いフンがあります。
増水に乗じて奴らも狩りに来たみたいです。
先行者ならぬ、先行鳥・・・ってか。
小沢聡くんの先行する「カモ」も困るけど、この敵機はほんと困ったものです。