lamination -36ページ目

0

人ありけるは、またこれに人ありけるかな。

かつて人は積層だと述べたがそれはニーチェの言う多数の主観らしい。つまり中心がないという事であり体系がないというものである。よく設計では主観から入るのだがA/B/C/…のような様々なアイディアがあるのだがよくあれもこれもとなる事が多くある。それは自己対話であるから仕方がない。しかしながら建築とは他者との対話から生まれるもので、自己対話のみからできるものではない。そのためだろうか建築家の中で自邸をつくることができない人間が存在する。しかし権力的なものを示す人間はそれができてしまうであろう。現在の建築教育とは果たして建築的によくないのではなかろうか?何かしらの他者との対話が無い場合が人によってはありはしないだろうか?水槽で泳ぐ金魚のようなものだと思う。それとも問われた事に対して考えるのが良いのであろうか?基本的に製図では課題としてだされる。英語ではQuestionでありそれらには回答であり、Answerなのである。これは我々は問われいるのでありそれに対してモノローグなのである。このような矛盾がある建築教育に対して私は泳ぐ事しかできないのが情けない。金魚は水槽から出れないからである。