愛という現象についての考察
愛するという現象とは最近悟ったのだが肉体的関係を共有しあわなければ生まれないのではないかと思うのである。また「好き」というのは異なるだろうと思う。I Love you とI like you とは異なるということはどういう事なのかという事を考えたという事なのである。それらをある引用を用いながら自分なりの論を展開する練習みたいな感じである。
かつて攻殻機動隊というアニメやノルウェーの森、又「いきの構造」などなどの著書や作品から思いついたといっても言いすぎではないだろうがそれらをもとに考察を展開していこうと思う。最初に攻殻機動隊を例に挙げたい。
例えば「イノセンス」というシリーズがあるが最後のシーンに少佐とバトーのシーンが、又スタンドアローンコンプレックス、「アップルシード」などなどサイボーグと人間との関係を描いた作品が多いのだがここれらは主に精神と精神との関係についての描写が多いと思うのだが、攻殻機動隊においてはバトーは少佐にたいして好きという感情を抱いていると思われるのだが愛するというところまではいたっていないのである。それは何となくだが肉体関係をもっつはいないからだと思う。というのも少佐という人物はサイボーグという設定であり自分というものを表象するものは精神でしかないからである。それは何を意味するかといえば自分を形成するであろう身体を持ってはいない、むしろ失っているのであり、それらはデザインされたものでしかないのである。そのような男と女の関係が精神というものを通じ表象されていると思うのである。
次には現代的なものなると思うが、電話やメールという電子媒体である。電話とは記号というものであるがそれらよりはなんとく高い、精神性をかろじて残すものであり、メールというものは記号に過ぎないものである。それらのツールまたはそれらを通した関係とは浅はかというか男と女の関係にはそう影響を与えるものではないと思う。あくまでツールとして捉えるものでしかないと思う。
最後にノルウェーの森に登場する先輩と主人公からの考察である。まづは先輩からになるが彼はsexを遊びとして捉えておりそのような関係は愛するという過程にまでいたっていないと思われる。そこには愛という現象が存在していなからであり愛するというこの経験から渇いたものを潤そうといしているが永久に潤さわれないという結果がまっているのである。また主人公は一人の女性と一夜限りの夜を過ごすのだがその夜前後その女性は濡れるという事が無かったという話であるがそこには愛という現象が存在するのではないかと思う。それは愛というものの美化された部分があると思うのだがそのような部分からも愛というものが垣間見れると思う。
今挙げた例からも愛というものがなんなのかと垣間見れるのだが肉体的関係がそこには存在すると思われる。ようは何となく肉体的関係を通じて好きを超える関係が生まれるということだと思う。それはかならずしもsexをする事ではない。sexとは行為でしかないのである。愛するという現象は非常におもしろいのである。さてそのような考察から結婚という現象に着目したのだ結婚とは愛したという事でしかなく過去であり、社会的な制度のようなもにものでしかないのではないかという事である。だから浮気や不倫は絶えずどの時代でも存在するのだと思う。