集団的自衛権と平和の代償 | シモンズのぼやき

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私たちの今日の幸せがあるのも先人­達の血と汗と努力の賜であることを忘れてはいけないと感じます。­
主に日本のマスコミが公にしたくないネタを公表し、ぼやきまくろうと思ってますので、宜しくお願いします。


「日本国憲法9条にノーベル平和賞を」と国民運動をしてる人たちがいます。

「日本が戦後70年の長きに渡って、戦争に巻き込まれなかったのは9条があったからだ」との主張のようですが、本当に憲法9条が平和を守っているのでしょうか?

9条ノーベル賞


日本国憲法第9条は、第1項で「戦争の放棄」、第2項で「戦力の不保持」と「交戦権の否認」を定めています。

戦争の放棄とは、簡単に言えば武力を伴った侵略をしない事です。

戦力の不保持とは、攻め込まれても応戦する為の武器・兵器・それを使用する組織を持たないこと。

交戦権の否認とは、読んでその通り、如何なる戦いに於いても戦う権利をを認めない事を謳っています。

読めば気づくと思いますが、他国を日本が侵略することを前提にしており、反対に侵略された場合のことは全く仮定していないのがこの憲法です。

もし他国が攻めてきても、応戦してはならないというのがこの9条の本来の意味です。

しかしそんなバカな話はありません。誰にだって生きるための権利が有り、攻撃されれば反撃してしかりです。

9条はその矛盾をただ単に様々な解釈として騙し騙し認めて来たに過ぎません。

謂わば継ぎ接ぎだらけの矛盾に満ちた条項なのです。


日本で敗戦の翌年である1946年の憲法改正審議において、日本共産党議員である野坂参三衆議院議員が、「自衛権を放棄すれば、民族の独立を危うくする」と9条に反対し、共産党は議決にも賛成しなかったのです。(この頃はまだ共産党にも愛国心があったようです)

志位委員長

この9条及び日本国憲法は、それくらい日本国民にとって屈辱であり、受け入れがたいものだったのです。


話を戻しますが、「日本国憲法9条にノーベル平和賞を」と叫び、受賞対象者を日本国民としているが、私から言えば甚だ滑稽な話で、そもそも受賞者がいるとすれば、日本国憲法を押しつけてきた占領軍であるGHQか、若しくはダグラスノートで原案を示したダグラス・マッカーサーが受賞するべきなのですから。

マッカーサー

勿論、後にはダグラス・マッカーサーも、日本に9条を押しつけたことを一生の後悔と言明しているので、マッカーサーとしても不本意であろうとは思いますが。


日本の平和を守っているのは、米軍と米軍が保有する核ミサイルです。人類の歴史上、戦いを放棄した国は全て他国の侵略によって滅ぼされているのですから、
憲法9条が日本の平和を守るなどというまやかしは通用しません。

日本は多くの国益を犠牲にすることによって、アメリカに守って貰っているだけで、ようは金で平和を買っているのです。

その代償としては、大量の米国債の購入や、自衛隊の武器兵器の購入、身近なところではTPP等の交渉でも、米国の圧力を無視できずに悪条件を呑まされる事例は蔓延し既に常態化しています。

ようは自国を自ら守れない国がまともに交渉など出来るはずがないのです。
言い換えれば、それらを犠牲にしても安全保障の問題は大きいということです。

「NOと言えない日本」と石原慎太郎氏の著書にありますが、日本がNOと言えない背景にはこういった問題が大きく影響しているのは否めません。

先ずは「集団的自衛権」の行使、そして現憲法の改正を急ぐ必要があると思います。