竹内文書の創世神話に異を唱えるつもりは無いけれど、
これを縄文文明と絡められるは迷惑だなぁ
縄文文明では、宇宙に始まりも終わりも無い。
宇宙に端が無い。端が設定されていない。
と考えられていたはずです。
それに精神生命体と言う考えも縄文文明に無いです。
創造主だったとしても、この宇宙に関わるならば、
この世界で活動したいなら、人として生を受け
「他の人と同じ条件の肉体」と成ります。
そのように縄文文明では 必ず教わる はずです
縄文人が不老だった理由は、
「老化は治せる病」だから法力で治していました。
紀元前の日本に中国は不老不死を学びに来ていた。
「不老」は、教えることができる技術=呪術で、
「不死」は、争いを生む人を生み出さない方法でした。
中国語だと「不老 的 不死」→不老で不死と成りがち
日本語だと「不老的不死」を不老と不死に分けられる。
視力の治療中なので返事はごめんなさい。