鳳凰は女社会だった紀元前の日本の言葉で、
女を百と言い男を白と表した頃の言葉です。
百は「もも」で「生み出す者」
なので、百姓は生産者を意味していた。
もも色(赤色)→産着(赤い衣)→赤ちゃん
白は「つくも」で「尽くす者」そして、
尽くす者の王(王者)の事を「皇」という。
尽くす者⇔救う者
古事記に
「はじめは女が男を選んでいた」とあり、
女社会だったことが判る
女社会の規律を「凮(ならわし)」という。
「凮と皇」⇔「女社会と尽くす者」→「女男(めおと)」
これに「羽衣」⇔「几」を加えて、
鳥にした物が「鳳凰」で繁栄の象徴としていた。
天皇が現れる前の日本は
「女が治めていた」→日巫(ひみこ)の治世でした。
巫とは「治す力」を意味している。
「治す力」→「巫術」
「人木人」⇔「巫」→「巫術」で、エ⇔木
ご神木の下で「人と人がお互いを見る」事を表す。
「巫」は「架け橋」の意味を持ちます。
ご神木は「朴」で「人と朴」→「巫(人≒ト)」でした。
紀元前の日本に、中国がわざわざ海を渡って
「医学、土器、鉄器」を学びに来ているから、
紀元前の日本に
文字が無かったというのは誤りです。
文字の無い国の文明の医学を
渡航費用数千万円(数億円?)を掛けて、
更に
命懸けで学びに来るのは不自然です。