寺子屋において、教育なんて、「ついで」です。
悪い事をさせず、
健やかに育て、
心と体の成長を支援する。
他人の子を預かると「子」を「供」と考える。
我が子を育てると、
親は「子」を「社会」に馴染ませようとする。
故に
「子」を「共」と考えている。
と言えるのです。
「子」を「共」と考えると
「子共」の為に「社会を変えよう」と思わなくなってしまう。
子を社会より「下」⇔「共」と見てしまうからです。
人の「成長」の先に「人々」の幸せな未来が有る。
「邪心」とは「未熟な自我」です。
人を育てれば、
人々の「邪心」は減り、住み易い社会に成ります。
「犯罪」を減らすのは
「教育」では無い
人を「育てれば、犯罪は減る」のです。
良い社会にしましょう。