本来の八百万の神とは、万人の内に宿る。
こころ(霊)のこと
九十九(つくも)とは、恙無(つくも)と書いた。
ツクモとは、ヘブライ語で、石の救い。
※ 石(ツク)ム(救い)・・・ツクム(=恙無い)
玉石と書いて、「たましい」
石を敢えて逆に読み、石(しい)としている。
理由は、
未熟な者を石と言ったからです。
石(意思)は、磨かれて「玉」に成ります。
人(石)の霊力が、救いの本質です。
神社は人の内なる神、八百万の神 を
育てる場所です。
神社が願いを叶えるのではない。
神社は人の玉石(たましい)にパワーを与える。
故に、「願いを聞き届ける。」と言う。
日ユ同祖論では、日本人はヘブライ人です。
ヘブライ人はセヒロト(木神)の民です。
ヘブライ人は木の気(フィトンチッド)を浴びて
健やかな体を取り戻す
それが参道の役割です。
参道とは、産道の意味で、生まれ変わる。
塚(つか)も、頭(つ)母(か)
を意味していて
輪廻した玉石が再出発する場所です。
ちなみに
「オカカおにぎり」は、『お母おにぎり』
昔の日本人が
「母親」のことを「カカさま」と呼んでいたから
ついでに
「父親」のことは「トトさま」と呼んでいます。
味噌汁の出汁をとった「かつお節」を再利用して
作った「おにぎり」が「オカカおにぎり」です。
つまり、
神社に御神体は無い。って事です。
神社に訪れた汝が
「あなた」こそが!
八百万の神の「石」(神の幼体)なのです。
神社にパワーを授かり
人を救って(人を助けて)、霊は「玉」に成る。
滝に打たれても、火の上を歩いても、
石(心)は育たない。
石(心)は磨かれない。
浮世に流され角が取れて磨かれて、
こころ(石)は玉に成る。
功を焦って無理をすれば、命を落とし
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