神を信じるとは盲に成ることではない | 杉山 召のブログ

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超能力と宇宙人のことを書いています。

 道無き道を恐れずに歩むことが信仰だと思っていませんか?
神はそんな無茶を決して言いません。
然るべき努力を続けていれば、目の前に必ず道はあると言う事。

信仰とはそれを理解して確認する作業だと思います。

 完ぺきな人が救えばいい。自分は無力だから祈っています。
それは逃げです。怠け者の詭弁です。
「神は正しき行いを守ってくださる」って事はありません。

信仰とは、積み上げた努力が道を切り開くと行動する事です。
例えば、ぼくが無法者の事務所に乗り込んで説法を垂れても、
数時間(数日)後にオカマ掘られてビデオ撮影されるだけでしょう。
それは神を信じる事には繋がりません。

でも、癒しの力を頼りに医者では治せない難病を治してしまえば、
無法者にも愛する人は居るでしょう。「救いたい願い」、神に縋りたい思い。
愛がぼくを救ってくれると思います。

 誰の心にも善と悪が有る筈です。神を信じるとは、
無目的に無謀な賭けに出ることじゃなく人を信じると云う事でもある。
日々積み上げた努力が、生きる道に繋がる時に神に感謝する。
普段は神に感謝する必要はない。

信仰に必要なのは、祈ることではなくて、努力を積み上げること、

神を信じるとは、人を信じて闇に埋もれた光を見つけ出すこと、

日々修行です。