ぼくは、若返らせたり、難病を治したり、数分でこぶが消せる。
最後のタンコブ消しは、超能力の証明用にアレンジした技術だ。
・・・でも、
超能力を証明するのに超能力を使う事を許されていない。
それは、何故だろう?
「 神は考えない。 」と、今まで書きこんで来たが
神に意志が無い訳じゃない。
「 明らかに人を救うことを望んでいる 」伏しが有る。
それに神の子である 魂=心も善悪に拘る。
超能力の証明に超能力を使ったら、人の自由意志はどうなる?
どんな理屈も、どんな拘りも、「 この力を見よ!」って片付けたら
力ずくで従えるのと変わらない。
神が万能で何でも可能なら、滅びの日など無くていい。
魂を育てたり、学習の機会を与えずに、いきなり神にすればいい。
人は苦しむ必要など無く、老いる事も死ぬ事も必要無い。
・・・でも、そうはならない。
神は万能ではないし、不完全な世界で人が苦しむ事に意味がある。
限界の有る体で寿命で、努力を積む尊さ
魂は、傷病労苦、艱難辛苦から、大切な事を学ばなければならない。
不老不死で、傷付く事も苦しむ事も知らない。 鉱物生命体
鉱物生命体は、意志だけの存在です。
肉体を持たなければ、考える事も奇跡を使う事も出来ない。
だから動物の中から人間を作り器として使う。
全ては、未来に神を生み出す為だ。
超能力は、超能力を証明する為でなく、自分が幸せになる為に使う。
・・・それでも、魂は誰かを救いたがる。
目的と行動が無理なく重なる為に、
人間が幸せを大切に思う為に、学ぶ事よりも幸せを優先する為に、
超能力を超能力の証明に使えない制約が有った。
それは、人間を苦しめる為でなく守る為だった。
・・・ちょっと、神を好きになった。