忘れられない「衝撃的な大聖堂の壊滅的火災」…なんと、「屋根の崩落であらわ」になった内部で「建築史を塗り替える大発見」があった
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今から5年前の今日、2019年4月15日に、衝撃のニュースが駆け巡りました。 フランスを代表する歴史的建造物であり、観光名所でもある世界遺産、ノートルダム大聖堂が大規模な火災に見舞われたのです。聖堂のシンボルだった尖塔が崩れ落ちた痛ましいその姿に、パリ市民はもちろん、世界中の人々が悲嘆に暮れました。 【画像】850年間も…ノートルダム大聖堂を支えた「鉄製のかすがい」 その修復計画を進めるなかで、じつは、建築史に残る驚きの事実が発見されていたことをご存じでしょうか。石だけで造られていると考えられてきた大聖堂に、なんと「鉄」製の部材が使われていたのです。 いったいなぜ、何のために鉄が使用されたのか? 「現代科学で読み解く技術史ミステリー」シリーズ、『古代日本の超技術〈新装改訂版〉』と『古代世界の超技術〈改訂新版〉』が話題の志村史夫さん(ノースカロライナ州立大学終身教授)が解説してくださいました。
日本とは雰囲気が違う「ヨーロッパの古城」
もう数十年前の話であるが、当時「古城」に凝って、日本中の城を訪ね歩いていた私は、ヨーロッパの石造りの古城を見たいと思って、フランス・ロワール川沿いの古城を巡ったことがある。 ロワール川はフランスの中央高地に源を発し、大西洋にそそぐ全長約1000kmの川である。流域には多くの古城が残っている。私が訪れたのは初秋のことで、ブロワ城、アンボワーズ城、シュノンソー城、シャンポール城などを2日間で巡った。 日本の城と異なる石造りであることに加え、川沿いの平地に建っているので、同じ「城」でも雰囲気がまったく違う。フランスの初秋の牧歌的な景観と相俟って、いずれの城でも印象派の風景画の中にいるような気分を味わえた。
ロワール川の古城巡りから帰った翌日は、大きな期待を持つこともなく、パリの定番の観光地を巡ったのであるが、予想以上の強烈な感動を与えてくれたのはノートルダム大聖堂(写真1)であった。 「ノートルダム(Notre-Dame)」はもともと、「私たちの貴婦人」を意味するフランス語で、具体的には「聖母マリア」を指す。 したがって、「ノートルダム大聖堂」はフランス国内のみならず、世界各地のフランス語圏の都市にあるが、「ノートルダム大聖堂」といえばやはりパリのノートルダム大聖堂(Cathedrale Notre-Dame de Paris)であり、本稿で述べるのももっぱら「パリのノートルダム大聖堂」である。 ゴシック建築を代表するノートルダム大聖堂は、全長128m、幅48m、高さ91mの石造の、まさに「大聖堂」とよぶにふさわしい威容を誇っている。1163年に着工し、最終的な竣工は1345年である。
ガーゴイルに目を奪われて
このノートルダム大聖堂正面の前に立ったとき、私はまず、首を直角に曲げなければならないほどに見上げるその大きさに驚いたが、すぐに目についたのは、気味の悪い形のガーゴイル(写真2)で、昔読んだヴィクトル・ユーゴーの小説『ノートル=ダム・ド・パリ』(原題“Notre-Dame de Paris”)を連想した。 これは、ノートルダム大聖堂の前に捨てられた醜い赤ん坊がカジモドと名づけられ、成長してノートルダムの鐘撞きになる話である。 「ガーゴイル」というのは、西洋建築物独特の、雨樋から流れてくる水を外壁から離して落とす吐水口で、日本語では樋嘴(ひはし)とよばれる。
ゴシック建築の大聖堂は、高く急な勾配の屋根を特徴としているので、雨水が勢いよく流れ落ちる。その雨水が壁面のモルタルを侵さぬように外壁を守るガーゴイルは、機能的に重要なだけでなく、グロテスクな動物や怪物の姿の装飾的造形物でもあった。 ガーゴイルが異形な理由についてはさまざまな説があるが、「建物を守護する動物像の伝統」と考えるのが常識的と思われる。写真3は、ガーゴイルに腰かけるカジモドを描くメルソンの絵である。 日本の城や宮殿、仏殿の大棟の両端に取りつけられている鴟尾(しび)のようなものであろう。
大聖堂の内部に入ると、高さ32.5mという身廊(しんろう)、壮大なスケールのゴシック建築(写真4)に、クリスチャンではない私でさえ敬虔な気持ちにさせられ、身体を震わせられる。 ゴシック建築大聖堂が意図するのは、「天国への入り口」としての開放的な空間で、上に伸びていくような高い天井、神の象徴である光をおびただしい数のステンド・グラス(写真5)が幻想的に取り込んでいる。 ノートルダム大聖堂は、1789年のフランス革命以降、幾度かにわたる破壊や略奪の憂き目にあい、1864年の修復完了時までに、ステンド・グラスも何度か作り直されている。私は大学時代、著者の成瀬省教授から直接習った『ガラス工学』(共立出版、1958)を思い出しながら、それらの微妙に異なる色や透明度から、ノートルダム大聖堂の「歴史」に想いを馳せた。 一般のガラスは「ソーダ石灰ガラス」とよばれ、主成分の石英(SiO₂)に炭酸ナトリウム(Na₂CO₃)、炭酸カルシウム(CaCO₃)を混合して融解することによって得られる。 光ファイバーに使われるような高純度の石英ガラスは無色透明であるが、通常は微量の鉄不純物のために緑色がかっている(私はここで、昔のラムネの瓶を懐かしく思い出す)。ステンド・グラスに使われるさまざまな色のガラスは、意識的にさまざまな微量の「不純物」(添加物)を加えて作られる。
「バラ窓」の化学
ノートルダム大聖堂内のステンド・グラスのなかで特に有名なのが、3つの「バラ窓」(写真5)である。美しい色を出すために、建築当時、遠く離れた国から高価な鉱石や金属が運ばれた。 多彩の中でひときわ目立つのが青と赤のステンド・グラスであるが、青には特に貴重なラピスベリが、赤には金(ゴールド)が使われた。しかし、金そのものはガラス主成分と容易に融合しないので、いったん王水(濃塩酸と濃硝酸の混合液)に溶かす化学的処理が必要である。 おびただしい数のステンド・グラス、特に3つの「バラ窓」を注意深く見比べると、その透明度や色(特に青と赤)が微妙に異なっているのがわかる。 その微妙な差は、ノートルダム大聖堂が建造、修復されたときのガラス技術に加え、ローマ・カトリック教会の権勢や財力を反映したものである。ガラスの色にまつわる化学と歴史も非常に面白いのであるが、本稿ではこれ以上深入りしない。
いささか長い「まえおき」となったが、これからが本論である。 ちょうど5年前の2019年4月15日、「ノートルダム大聖堂で大規模火災が発生!」というニュースが、衝撃的な映像(写真6)とともに世界を駆け巡った。翌16日10時までに鎮火したが、尖塔とその周辺の屋根(写真1ノートルダム大聖堂を参照)が崩落した。 ノートルダム大聖堂を「信仰の殿堂」と崇める世界中のキリスト教徒が、それを「世界的・歴史的文化財建造物」と無機的に見る私とは異質の、まさに筆舌に尽くせぬ衝撃を受けたであろうことは想像に難くない。 もちろん、まったくの偶然ではあるが、この「ノートルダム大聖堂大規模火災」からちょうど半年後の2019年10月31日、琉球王国の歴史・文化の象徴である首里城の正殿など主要7棟が火災で焼失した。 私はいままでに首里城を三度訪れているが、正殿前に掲げられている、400年以上前に作られたという梵鐘(ぼんしょう)には、次のような銘文が刻まれている。 琉球国は南海の勝地にして 三韓の秀を鍾(あつ)め 大明を以て輔車となし 日城を以て唇歯となす 此の二中間にありて 湧出する蓬莱島なり 船輯(しゅうしゅう)を以て万国の津梁となし 異産至宝は十方刹に充満せり このような琉球王国に対し、1879(明治12)年春、首里城から国王を追放し、琉球を無理やり「沖縄県」としてしまった明治新政府に憤りを覚えつづけていた私にとって、「首里城の大火災」は「ノートルダム大聖堂火災」とはまったく異質の感情に胸を詰まらせたのである。 つい、話が横道に逸(そ)れてしまった。
建築史上の「大発見」
本題に戻る。 ノートルダム大聖堂の火災に「不幸中の幸い」「怪我の功名」などという言葉を使うのは不謹慎ではあるが、火災後の修復工事中の2023年3月、建築史上の「大発見」があった。 ノートルダム大聖堂の焼け焦げた内部調査に取り組んでいた専門家が、12世紀半ばの大聖堂建設に鉄が使用されていたことを発見したのである。 写真7に示すように、石造りの大聖堂の構造的完全性を飛躍的に改善したと思われる鉄製の鎹(かすがい)が使われていた。 これは、これまでの石造建設方法を根本から覆すものである。 * * * *後編では、ノートルダム大聖堂で発見された鉄の謎について、国内外の歴史的建造物や遺跡で使用されてきた超技術をもとに解明していきます。 ---------- 古代日本の超技術〈新装改訂版〉 古代世界の超技術〈改訂新版〉