卒業する信吾 10
清水景允
沢田先生は三浦郡葉山町から横須賀市芦名へ住宅を新築し転居していた。
慶応旭川クラブから新築祝いを送りたいと言うことになり、何が良いか有志で話し合った。
以前、澄子夫人が運転する愛称パンダ自動車(黒のクラウンに、白いドアーが付いていたのでパンダ自動車と愛称を付けた)で三浦半島から慶応旭川クラブの月例会に出席するため、沢田先生がナビを勤め、やって来ると言うのである。
澄子夫人は、先生が参加する殆ど国内の慶友会(慶応旭川クラブの様な組織)の催しものに自家用車を運転し参加していた。その澄子夫人と先生とが車で旭川に来るのである。
慶応旭川クラブの有志が函館まで迎えに出て、北海道旅行のお供に加わった。
慶応旭川クラブの月例会に参加し、次の日、北海道道北地方を車の旅に出発した。朝8時にホテルを出発し、国道40号線を北上するのである。
パンダ自動車には、慶応旭川クラブの会長がナビを勤め乗っている。
信吾の車には沢田先生が乗り込んだ。
車内で論文指導を受けながら自動車を運転する信吾であった。
このようにして、稚内のサロベツ原野から日本海に浮かぶ利尻富士を見に稚咲内(ワッカサキナイ)の海岸に向かった時、その海岸に夥しい流木が流れ着いていた。
その流木の中に根元だけの大木を見つけた澄子夫人は
「この流木を利用して、テーブルの足にしたらおもしろい家具になるね・・・。」
と言うのである。
その澄子夫人が言ったことを思い出し、サロベツ原野の日本海まで車を走らせ、その流木を当地の漁業組合長に訳を話し譲ってもらい、旭川に運んだ。
その流木でテーブルの足を作り、上にガラス板を乗せ仕上げた。
それを、旭川から芦名へ運ぶのである。
さあ、どうしよう・・・。
運送会社に頼むと費用がかかる。
我々で運ぶことにした。
信吾の車は新車であったため、信吾の車に積み込んだ。
横須賀市芦名までの約1500kmを有志の慶応旭川クラブ歴代会長一人と信吾の二人の旅行が始まるのである。
職場には、一週間の年休届と旅行届を提出した。
名目は、「卒業論文指導を受けるため」と記した。
事実、通信教育ではキャンパスが、そのまま指導教授宅になることがあった。
清水景允
沢田先生は三浦郡葉山町から横須賀市芦名へ住宅を新築し転居していた。
慶応旭川クラブから新築祝いを送りたいと言うことになり、何が良いか有志で話し合った。
以前、澄子夫人が運転する愛称パンダ自動車(黒のクラウンに、白いドアーが付いていたのでパンダ自動車と愛称を付けた)で三浦半島から慶応旭川クラブの月例会に出席するため、沢田先生がナビを勤め、やって来ると言うのである。
澄子夫人は、先生が参加する殆ど国内の慶友会(慶応旭川クラブの様な組織)の催しものに自家用車を運転し参加していた。その澄子夫人と先生とが車で旭川に来るのである。
慶応旭川クラブの有志が函館まで迎えに出て、北海道旅行のお供に加わった。
慶応旭川クラブの月例会に参加し、次の日、北海道道北地方を車の旅に出発した。朝8時にホテルを出発し、国道40号線を北上するのである。
パンダ自動車には、慶応旭川クラブの会長がナビを勤め乗っている。
信吾の車には沢田先生が乗り込んだ。
車内で論文指導を受けながら自動車を運転する信吾であった。
このようにして、稚内のサロベツ原野から日本海に浮かぶ利尻富士を見に稚咲内(ワッカサキナイ)の海岸に向かった時、その海岸に夥しい流木が流れ着いていた。
その流木の中に根元だけの大木を見つけた澄子夫人は
「この流木を利用して、テーブルの足にしたらおもしろい家具になるね・・・。」
と言うのである。
その澄子夫人が言ったことを思い出し、サロベツ原野の日本海まで車を走らせ、その流木を当地の漁業組合長に訳を話し譲ってもらい、旭川に運んだ。
その流木でテーブルの足を作り、上にガラス板を乗せ仕上げた。
それを、旭川から芦名へ運ぶのである。
さあ、どうしよう・・・。
運送会社に頼むと費用がかかる。
我々で運ぶことにした。
信吾の車は新車であったため、信吾の車に積み込んだ。
横須賀市芦名までの約1500kmを有志の慶応旭川クラブ歴代会長一人と信吾の二人の旅行が始まるのである。
職場には、一週間の年休届と旅行届を提出した。
名目は、「卒業論文指導を受けるため」と記した。
事実、通信教育ではキャンパスが、そのまま指導教授宅になることがあった。