信吾の病気 6
清水景允
信吾は教務手帳に、その日の行動を記録する。
信吾の教務手帳には『これから毎日、この状態が3年間続くのだ・・・。
自分の天職は何か・・・。
助手時代は、自分で研究テーマを見つけ、それに向かって進めばよかった。しかし、教諭に成ってから、自分の事だけを考える事が出来ない。生徒の事を第一に考えなければ成らない。それが担任の大きな仕事である。
では、自分が抱いた哲学はどうなるのか・・・。
僕は、助手時代に哲学的問題意識に目覚め、慶応の門を叩いた。しかし、今は生徒の事を考えなければならない。
この状態の中で、哲学的問題意識の回答を得る事が出来るのであろうか。
原子力エネルギーの方だって、原子力の平和利用を旗印に、原子力発電所が建設されて居る・・・。沢田先生のライフサイエンスの哲学の中で言っている科学者の禁欲など蚊帳の外だ。
誰か、E=mc^2の公式を研究している科学者は居るのであろうか。
全く聞こえて来ない。
この理論が分かれば原子力の平和利用なんて夢物語で、原子力発電が環境破壊をもたらす巨悪の根源である事が分かるはずである。』
・ ・・・・・・・・信吾の教務手帳に書込んでいる。
更に、『今は助手の時代とは違う。
自分の事のみを考えることが出来ない。
いまはクラス運営を第一に考えなければ生徒達に申し訳ない。
では、自分の哲学をどのように取組めば良いのか・・・。』
悩む信吾の姿が記載されているのが目立つ様になってきた。
しばらくして、解答が見つかった。
それは、沢田先生の著書「認識に風景」の中にあった。
『人間として、喘ぎ苦しむ姿を生徒に見せる事もクラス運営で最も大切な事でないのか・・・。
哲学とは、今の時代を見詰め、問題を発見し、その問題に対して知識をもって解決していくことである・・・。
今の自分の置かれている立場は、真摯に問題に立ち向かう姿を生徒に見せる事ではないか・・・。
自分の生き様を生徒に見せよう。
それは、人間として生きる姿を見せることである。もしかすると、これが探し求めている教育ではないのか・・・。』
信吾はクラス担任としての自信を持つのであった。
『また、自動現像装置も未完成である。この現像装置は、工業高校である以上、そして生徒達の前で話した通り、ものを作る事の喜びを見出すため、ものを作っている姿を生徒達に見せることではないのか・・・。
そうだ、放課後時間がある。生徒が居なくなった時から、ものづくりに取組めば良いだ・・・。』と、考えるのであった。
心に決まったら気が楽になった。
生徒と共に居る時、生徒に悩む姿を隠さず見せることは、反面、真剣に物事に取組む姿でもある・・・。
清水景允
信吾は教務手帳に、その日の行動を記録する。
信吾の教務手帳には『これから毎日、この状態が3年間続くのだ・・・。
自分の天職は何か・・・。
助手時代は、自分で研究テーマを見つけ、それに向かって進めばよかった。しかし、教諭に成ってから、自分の事だけを考える事が出来ない。生徒の事を第一に考えなければ成らない。それが担任の大きな仕事である。
では、自分が抱いた哲学はどうなるのか・・・。
僕は、助手時代に哲学的問題意識に目覚め、慶応の門を叩いた。しかし、今は生徒の事を考えなければならない。
この状態の中で、哲学的問題意識の回答を得る事が出来るのであろうか。
原子力エネルギーの方だって、原子力の平和利用を旗印に、原子力発電所が建設されて居る・・・。沢田先生のライフサイエンスの哲学の中で言っている科学者の禁欲など蚊帳の外だ。
誰か、E=mc^2の公式を研究している科学者は居るのであろうか。
全く聞こえて来ない。
この理論が分かれば原子力の平和利用なんて夢物語で、原子力発電が環境破壊をもたらす巨悪の根源である事が分かるはずである。』
・ ・・・・・・・・信吾の教務手帳に書込んでいる。
更に、『今は助手の時代とは違う。
自分の事のみを考えることが出来ない。
いまはクラス運営を第一に考えなければ生徒達に申し訳ない。
では、自分の哲学をどのように取組めば良いのか・・・。』
悩む信吾の姿が記載されているのが目立つ様になってきた。
しばらくして、解答が見つかった。
それは、沢田先生の著書「認識に風景」の中にあった。
『人間として、喘ぎ苦しむ姿を生徒に見せる事もクラス運営で最も大切な事でないのか・・・。
哲学とは、今の時代を見詰め、問題を発見し、その問題に対して知識をもって解決していくことである・・・。
今の自分の置かれている立場は、真摯に問題に立ち向かう姿を生徒に見せる事ではないか・・・。
自分の生き様を生徒に見せよう。
それは、人間として生きる姿を見せることである。もしかすると、これが探し求めている教育ではないのか・・・。』
信吾はクラス担任としての自信を持つのであった。
『また、自動現像装置も未完成である。この現像装置は、工業高校である以上、そして生徒達の前で話した通り、ものを作る事の喜びを見出すため、ものを作っている姿を生徒達に見せることではないのか・・・。
そうだ、放課後時間がある。生徒が居なくなった時から、ものづくりに取組めば良いだ・・・。』と、考えるのであった。
心に決まったら気が楽になった。
生徒と共に居る時、生徒に悩む姿を隠さず見せることは、反面、真剣に物事に取組む姿でもある・・・。