退職後の信吾 1
清水景允
哲学をするにも生活をしていかなければならない。
そこで、信吾は写真関係のベンチャー企業を起こすのである。
幸い取得した特許、及び実用新案の技術を期待している人が居ると言う事も起業の引き金となった。
退職後一年間、信吾の技術が社会に通用するのか・・・。と言う事で、北海道知的所有権センターで審査してもらった。すると、全国特許流通アドバイザー会議の人気投票で第一位に輝くのである。
また、経営となると全くの素人である。そこで、旭川市の第三セクターである旭川産業高度化センターで経営について学ぶのである。
記帳となると全く無知であった。そこで、税務署に赴き帳簿の付け方等を勉強する。
その時、税務署で学んだ事を元に複式簿記の会計管理ソフトを開発し、青色申告をするのである。このソフトはPC上の現金出納帳に金銭の出入れを入力すると、自動的に青色申告の形式に記録されるものであった。
また、開業届けを税務署に提出した時の事である。
税務署職員から
「屋号は何と言うのですか・・・。」と聞かれた。
信吾にとって、初めてのことなので「屋号とは何ですか・・・。」と聞き返すのである。
すると、税務署職員は「会社に付ける名前です。たとえば、自動車会社で言えば有名な会社が有りますよね。その会社の名前のことです。」と言うのである。
信吾は、初めて自分が会社を起こすことになっているのだ、と自覚すると同時に責任を感じるのである。
屋号については、信吾の頭の中に、次の英文が浮かんでいた。The studio which a digital image is left in with the chemical power. と・・・。
つまり、デジタル画像を化学の力で残す工房という文章である。その英文の頭文字をDICLと並び替え、「ディクル工房」と開業届に記載するのであった。
開業するからには資金が必要である。
その資金は、退職金から300万円を君枝から融資してもらった。
2003年4月1日ディクル工房は開業するのである。
信吾に掛る生活費はディクル工房からの売上で何とかしたいと頑張るのであった。
清水景允
哲学をするにも生活をしていかなければならない。
そこで、信吾は写真関係のベンチャー企業を起こすのである。
幸い取得した特許、及び実用新案の技術を期待している人が居ると言う事も起業の引き金となった。
退職後一年間、信吾の技術が社会に通用するのか・・・。と言う事で、北海道知的所有権センターで審査してもらった。すると、全国特許流通アドバイザー会議の人気投票で第一位に輝くのである。
また、経営となると全くの素人である。そこで、旭川市の第三セクターである旭川産業高度化センターで経営について学ぶのである。
記帳となると全く無知であった。そこで、税務署に赴き帳簿の付け方等を勉強する。
その時、税務署で学んだ事を元に複式簿記の会計管理ソフトを開発し、青色申告をするのである。このソフトはPC上の現金出納帳に金銭の出入れを入力すると、自動的に青色申告の形式に記録されるものであった。
また、開業届けを税務署に提出した時の事である。
税務署職員から
「屋号は何と言うのですか・・・。」と聞かれた。
信吾にとって、初めてのことなので「屋号とは何ですか・・・。」と聞き返すのである。
すると、税務署職員は「会社に付ける名前です。たとえば、自動車会社で言えば有名な会社が有りますよね。その会社の名前のことです。」と言うのである。
信吾は、初めて自分が会社を起こすことになっているのだ、と自覚すると同時に責任を感じるのである。
屋号については、信吾の頭の中に、次の英文が浮かんでいた。The studio which a digital image is left in with the chemical power. と・・・。
つまり、デジタル画像を化学の力で残す工房という文章である。その英文の頭文字をDICLと並び替え、「ディクル工房」と開業届に記載するのであった。
開業するからには資金が必要である。
その資金は、退職金から300万円を君枝から融資してもらった。
2003年4月1日ディクル工房は開業するのである。
信吾に掛る生活費はディクル工房からの売上で何とかしたいと頑張るのであった。