退職後の信吾 2
清水景允
開業し忙しさの中で、信吾は沢田先生が新築した家を訪問した時の話を思い出すのである。
「君は正直だ・・・。その気持ち(哲学的問題意識)が無くならない限り、また、その事に目覚めてくるよ・・・。」と言ってくれた言葉である。
忙しいと言っても学校の仕事とは違う。
注文が入ったディクルパネル(写真パネルを「ディクルパネル」と命名していた)を作るのにコンピュータでデザインを起こし、それを印刷して、その上に重合剤を塗布しローラプレス機で圧力を加え、重合反応が完結するのを待つだけである。その間、哲学書を読むのに時間は充分に確保できる。
先生の著書「認識の風景」及び「ライフサイエンスの哲学」を紐解き始める。
「ライフサイエンスの哲学」の初版は慶応に進学した教え子に渡していたので、先生宅を訪れた時、事情を話したら書棚から取り出し信吾に渡してくれた著書であった。その「ライフサイエンスの哲学」も第7刷発行で絶版になっている。
精読する。
学生時代とは違ったものが見えて来る。
「認識の風景」では、人間の生い立つ環境の中で世界を眺めている。
眺めると言っても視覚にだけではない。五感に頼るところが大きい。
その世界を眺めるには、その時、持っている知識と言う眼鏡を通して見るのである。しかし、その眺める行為の中で、より良く見えて来るには条件があった。
その人間の問題意識が何処に有るかが大前提となってくる。
信吾は、実習助手時代の哲学的問題意識に芽生えた時の事を思い出すのであった。
その「認識の風景」の知識を元に「ライフサイエンスの哲学」を再読していく。
この「ライフサイエンスの哲学」は哲学を含め、科学批判の著書である。
哲学とは・・・。科学とはどう有るべきか・・・。と言う事を問うている。
この著書の中に、現代社会は未熟な科学と技術が結び付き、その上、経済(人間の欲望を満たす為の手段)活動が加わり、それが環境破壊をもたらす原因であると信吾は読み取るのである。
信吾は、哲学のあり方に対して持論を持っている。つまり、人が若い時、哲学を学び、ある歳になると、その学んだ哲学をもって実践する・・・。と、言う事である。
何も、哲学者になる為に哲学を学ぶのではない。
若い時学ぶ哲学は、ある歳になって、その哲学を実践するための準備期間であると信吾は考えているのである。
哲学を実践すること・・・。それは、今の時代を良く見る事から始まる。
信吾は、科学とは何か・・・。技術とは何か・・・。そして、それを教える教育とは何か・・・。と言う問題意識で哲学の門を叩いた。
もう一度、初心に帰るのであった。
清水景允
開業し忙しさの中で、信吾は沢田先生が新築した家を訪問した時の話を思い出すのである。
「君は正直だ・・・。その気持ち(哲学的問題意識)が無くならない限り、また、その事に目覚めてくるよ・・・。」と言ってくれた言葉である。
忙しいと言っても学校の仕事とは違う。
注文が入ったディクルパネル(写真パネルを「ディクルパネル」と命名していた)を作るのにコンピュータでデザインを起こし、それを印刷して、その上に重合剤を塗布しローラプレス機で圧力を加え、重合反応が完結するのを待つだけである。その間、哲学書を読むのに時間は充分に確保できる。
先生の著書「認識の風景」及び「ライフサイエンスの哲学」を紐解き始める。
「ライフサイエンスの哲学」の初版は慶応に進学した教え子に渡していたので、先生宅を訪れた時、事情を話したら書棚から取り出し信吾に渡してくれた著書であった。その「ライフサイエンスの哲学」も第7刷発行で絶版になっている。
精読する。
学生時代とは違ったものが見えて来る。
「認識の風景」では、人間の生い立つ環境の中で世界を眺めている。
眺めると言っても視覚にだけではない。五感に頼るところが大きい。
その世界を眺めるには、その時、持っている知識と言う眼鏡を通して見るのである。しかし、その眺める行為の中で、より良く見えて来るには条件があった。
その人間の問題意識が何処に有るかが大前提となってくる。
信吾は、実習助手時代の哲学的問題意識に芽生えた時の事を思い出すのであった。
その「認識の風景」の知識を元に「ライフサイエンスの哲学」を再読していく。
この「ライフサイエンスの哲学」は哲学を含め、科学批判の著書である。
哲学とは・・・。科学とはどう有るべきか・・・。と言う事を問うている。
この著書の中に、現代社会は未熟な科学と技術が結び付き、その上、経済(人間の欲望を満たす為の手段)活動が加わり、それが環境破壊をもたらす原因であると信吾は読み取るのである。
信吾は、哲学のあり方に対して持論を持っている。つまり、人が若い時、哲学を学び、ある歳になると、その学んだ哲学をもって実践する・・・。と、言う事である。
何も、哲学者になる為に哲学を学ぶのではない。
若い時学ぶ哲学は、ある歳になって、その哲学を実践するための準備期間であると信吾は考えているのである。
哲学を実践すること・・・。それは、今の時代を良く見る事から始まる。
信吾は、科学とは何か・・・。技術とは何か・・・。そして、それを教える教育とは何か・・・。と言う問題意識で哲学の門を叩いた。
もう一度、初心に帰るのであった。