日本における「情報化社会」とは何か・・・ No.7 清水 景允
前回は、本来学問であったはずの科学がその厳格さ故に信仰の対象へと変化し、それが技術と結びつき科学技術の発展が人間の生活を豊かにするものと信じ、科学技術が生み出すものを批判することをせず、科学者の言いなりになって来たところに、今日の悲劇を生み出したと結論づけをしました。
今回は、このシリーズNo.4で考えたところに戻り、もう一度、人間の発育過程から、情報化社会の意味を考えて見たいと思います。
人間が成長していく過程の中で、初め肉体、内蔵の発育が優先されます。この段階では、他の動物も全く同じです。少々硬い物を口にしても体内で他の物質に変えられ肉体の成長に施されます。また、同時に手足の機能が発達し、自然環境の中で適応できるようになります。さらに、人間にはもう一つの能力が肉体の発育の後にやって来ます。つまり、言葉を身につけるのです。この言葉には大脳の発育がなければなりません。そして、この言葉をもちい、考え、他人とのコミュケーションの手段として使用されます。
このことは、人間の社会でも同じことが言えます。初め産業社会が機械文明を生み産業の発達に繋がりました。やがて、遅れて人間の大脳の働きが言葉を手段として発達するように、人間の社会では情報の伝達が見られるようになりました。それが、やがて情報の処理へと発展し社会政策が決定され、それに基づいて行動するようになって行くのです。
しかし、日本では少々情報の処理の仕方が異なっていました。それは戦後教育を受けた一部の指導者によって産業社会の維持と繁栄を図る目的で情報をコントロールするようになり、環境破壊に拍車がかかり、その環境破壊が日本国内だけでなく地球規模へと拡大しはじめたのです。地球規模の環境破壊は生態系の破滅を予想させるものです。
「日本に於ける『情報化社会』」について考えていると、何も日本だけの問題ではないことに気がつきました。どうも、人間の本質にはもっと根の深い何者かが存在しているのでないでしょうか。次回はそこのところについて考えてみたいと思います。
(参考資料:沢田允茂著 講談社学術文庫「ライフサイエンスの哲学」)
前回は、本来学問であったはずの科学がその厳格さ故に信仰の対象へと変化し、それが技術と結びつき科学技術の発展が人間の生活を豊かにするものと信じ、科学技術が生み出すものを批判することをせず、科学者の言いなりになって来たところに、今日の悲劇を生み出したと結論づけをしました。
今回は、このシリーズNo.4で考えたところに戻り、もう一度、人間の発育過程から、情報化社会の意味を考えて見たいと思います。
人間が成長していく過程の中で、初め肉体、内蔵の発育が優先されます。この段階では、他の動物も全く同じです。少々硬い物を口にしても体内で他の物質に変えられ肉体の成長に施されます。また、同時に手足の機能が発達し、自然環境の中で適応できるようになります。さらに、人間にはもう一つの能力が肉体の発育の後にやって来ます。つまり、言葉を身につけるのです。この言葉には大脳の発育がなければなりません。そして、この言葉をもちい、考え、他人とのコミュケーションの手段として使用されます。
このことは、人間の社会でも同じことが言えます。初め産業社会が機械文明を生み産業の発達に繋がりました。やがて、遅れて人間の大脳の働きが言葉を手段として発達するように、人間の社会では情報の伝達が見られるようになりました。それが、やがて情報の処理へと発展し社会政策が決定され、それに基づいて行動するようになって行くのです。
しかし、日本では少々情報の処理の仕方が異なっていました。それは戦後教育を受けた一部の指導者によって産業社会の維持と繁栄を図る目的で情報をコントロールするようになり、環境破壊に拍車がかかり、その環境破壊が日本国内だけでなく地球規模へと拡大しはじめたのです。地球規模の環境破壊は生態系の破滅を予想させるものです。
「日本に於ける『情報化社会』」について考えていると、何も日本だけの問題ではないことに気がつきました。どうも、人間の本質にはもっと根の深い何者かが存在しているのでないでしょうか。次回はそこのところについて考えてみたいと思います。
(参考資料:沢田允茂著 講談社学術文庫「ライフサイエンスの哲学」)