日本における「情報化社会」とは何か・・・  No.6   清水 景允

前回はホモ・サピエンス(知恵を持った動物)が、産業化社会の次ぎに来る社会を摸索しはじめたところで終わりました。日本では、この「Post Industrial Society」をどのように解釈したのでしょうか。その部分について考えて見たいと思います。

 日本ではPost Industrial Society を「情報化社会」とその方法論から訳してしまいました。その中には産業社会の延長としか思えないところがあります。それは、20世紀の中葉に産声を上げたインタネットで代表される社会で、情報を誰からも発信され、その情報を誰でも受信でき、それを支える企業が出現した社会と言うだけの認識でした。そこには、環境破壊という意味合いが全く含まれていません。誤ったPost Industrial Society の認識の下で、日本は産業社会が進み環境破壊が進んで行くのです。また、責任者の不明な「公害」という言葉を「環境破壊」に置き換えて言うようになりました。拡大する産業社会の中で、情報を一部の指導者の下でコントロールされることによって起きる社会問題が今日の日本の悲劇を生んでいるのです。

 これには、戦後の日本の教育にも問題がありました。拡大する産業社会の下で作られる学習指導要領で教育を受けた者が社会の指導者になって行く所に、Post Industrial Society などと言う精神は見ることができません。ただ、過去の偉大な人のこと、過去の文学、歴史をただ学ぶ、一方においては新しい科学、技術といったものを発展させるだけの教育でした。拡大された社会の中でいかに自分の生き方をコントロールして行くか、と言うことに付いては、ほとんど何も教えていないのです。人間の行動のシステムの方は、拡大されていくが、それをコントロールするための知識が一つも身に付いていません。気がつけば、原子力発電所が54基も建設されている社会になっていたのです。

 ここで、少し「科学」について考えてみます。
 本来、科学はラテン語でscientia という語が用いられています。この語の中には「学問」と言う意味をもっており、その意味では神学や哲学もその一部でした。しかし。近世になって事象を観測するため新しい道具や装置が開発されるとともに仮説をテストするために実験と言う方法、より厳密な数学的計算の技術にもとづいて理論がつくられ新しい方法論の領域が大きく発展していくのです。

 さらに、この新しい理論は実際の人間の生活行為の目的ために「技術」と結び付きました。その結果、新しい道具、機械、装置が作られ、これが人間の社会生活の中に入り込み、以前と生活様式が大きく変化させたのです。ここに、学問としての科学から、人間生活の行為目的のための科学へと変化し科学信仰が生まれるのです。その最たるものが日本での技術立国と言う神話が生まれ「科学者の言うことだから・・・。」と言うことを日本の人々は何の疑問を持たず、新しい宗教が一人歩きはじめたのです。

 次回は、このシリーズの最終回として、何故、日本は「情報化社会」に成れないのかと言うことに付いて考えていきたいと思います。多分紙面の関係で2回にわたると思います。

(参考文献:沢田允茂著 講談社学術文庫「ライフサイエンスの哲学」)
(参考文献:日本科学者会議編 リベタル出版 「地球環境問題と原子力」)
(参考文献:岩波講座 岩波書店 「哲学15 宗教と道徳」)